との曇る花アカシアに人訪はん
車で走っているとハッとするほど房が見事な花がある。
いつもこんがらがってしまうのが、(ニセ)アカシアとなんじゃもんじゃの木。なんじゃもんじゃは栽培種なので大抵はアカシアなのではあるが。
大きくはった枝でさえおおってしまうほど見事な白い房で、通るたびに一体どっちの木なのかとつぶやいてしまう。
今日も大和川沿いの道で頭上高く花房をゆらせる木を見つけた。

めざせ5000句。1年365句として15年。。。
との曇る花アカシアに人訪はん
車で走っているとハッとするほど房が見事な花がある。
いつもこんがらがってしまうのが、(ニセ)アカシアとなんじゃもんじゃの木。なんじゃもんじゃは栽培種なので大抵はアカシアなのではあるが。
大きくはった枝でさえおおってしまうほど見事な白い房で、通るたびに一体どっちの木なのかとつぶやいてしまう。
今日も大和川沿いの道で頭上高く花房をゆらせる木を見つけた。
筋取りを手伝いもして莢豌豆
ご近所から莢豌豆をたくさんいただいた。
ただ、莢豌豆と言っても、豆が大きくて莢がぷっくら膨らんでいて、莢のままサラダなどで食べられるスナップ豌豆だと教えられた。なので、食べるには普通の莢豌豆のように筋をとらなければならない。かなりの量があったので暇つぶしかたがた手伝いを買って出たものの、なかなかうまく筋がするっとはむけないで途中でブツブツ切れてしまう。家人の方とみるとすーっと糸を引くようにうまくいってるのに。
あまり気にしなくても食べる分には問題ないとは言われるが、やはり買って出た仕事が不始末では格好がつかないではないか。しばらく頑張ってみたが最後までうまく引けたのは一本もないのだった。
暮れかぬるときを惜しみて揚雲雀
今夕方の6時11分、2階の部屋にいて雲雀の声がよく聞こえる。
よほどこの土地がお気に入りなんだろう。朝となく昼となく、また夕となく頭上で雲雀が鳴いている。
見上げては探すのだが、春先の頃に比べ高さが一段と高くなったのかどうか老眼の目には容易に見つからない。今年生まれた子はもう巣立ちしたであろうから、あの高さで鳴く理由というのは何なんだと思う。
そういえば、あれほどよく聞こえていた鶯の声が聞かれなくなった。早くも信貴山の涼しいところにでも登っていったのかもしれない。高度差からいうと、ここらあたりよりは3度くらいは気温が低いはずなので。
蜘蛛の子の散りてしのちのとどこほる
庭の片付けをしていたら、巣を破ったばかりとみえる蜘蛛の子がうやうやといる。
大きさ一ミリにも満たない小さくて赤い子供たちがコンテナーの上を右往左往しているのだ。おそらくコンテナーの上に登ってきたのはいいが、行き場を失ってしまったにちがいない。
「蜘蛛の子を散らす」という慣用句があるが、あれは巣の袋を破って生まれた直後のことを言うらしい。今日は袋を破って出てきたところを見たわけではないが、あの塊や個体の小ささから巣を出てそう遠くないころだったんだろう。
今日見た蜘蛛の子のうち、果たして何匹が生き残れるんだろうか。
げんげ田を起こさぬままに村おこし
お隣の平群町では南北に貫く道に沿って、今ちょうど紫雲英が花盛り。
紫雲英というのは、花の頃に田にすき込んで肥やしにするものだというイメージがあるがそうではないらしい。
おそらく休耕田を利用していると思われるが、立て看板によると有志が申し合わせて一般のひとにも紫雲英田を楽しんでもらおうという趣旨らしい。
休日には家族連れが三々五々時間をつぶす光景も見られて、一応当初の目的は果たしているように思える。なかにはすっぽりそのまま雑草におおわれてしまいそうになってる区画もあるが、担い手の減少で荒廃していく町の光景を少しでも遅らせようという心意気がそういう活動を支えているのであろう。
先日のニュースでは平群町だけでなく我が町も、さらには県内大半の自治体が人口減少に悩んでいるという。限界集落どころか消滅集落さえ現実の問題として浮かんでくる昨今、比較的耕作地も平らで大阪にも近い町までも耕作担い手が減少しているというのは、現実の問題として各行政に重い課題をつきつけていると言える。
新緑に百年ピアノの轟けり
奈良女子大記念館は年2回一般公開される。
さきごろ春の公開があったので見学する機会を得た。明治42年竣工の建物は道路からも東正門の真正面に見え、いかにも歴史を感じさせる建物だ。
一階には校長室とか応接室があり、二階は講堂でここに創建当時のピアノがおかれている。このピアノも建物同様手入れが十分されていて今でも現役だ。たまたま訪れたときは「乙女の祈り」を弾いている人がいたので、てっきり事務局が手配した人が弾いているとばかり思っていたら、実は飛び入りの人だったのを後で知った。この公開中は誰でも弾いていいことになっているそうだ。
門から記念館に向かって右にあるヒマラヤ杉はいつ見ても見飽きないほど立派だが、今の季節の新緑はさらに見事で、構内全体がすこぶる新鮮な空気に包まれることになる。
駅すぐに一本道の新樹かな
隣の駅「信貴山口」の駅を出ると急勾配の直線道路が一本に伸びている。
おそらくかつてのケーブルカー跡を拡幅して道路にしたものだろうが、突き当たりの県立高校までは500メートル以上はあろうかというすさまじい急坂である。
これを3年間通学する高校生にしてみれば足腰のいい鍛錬にはなるだろうが、道路を挟んで広がる古い住宅街に住む人々にとっては、お見受けしたところ高齢化もあって、いまや生活には決して便利とは言えそうもない。新緑を楽しむどころか、食の確保すら大変な苦行なのである。
都会ではお年寄り向けのケータリングサービスが広がりつつあるようだが、当地のように何事も全国レベルからは遅れているような地方でこそ、サービスの必要性が高まっているように思う。