やきもき

別れ霜頼みつ今日の鉢用意

霜はいつまで降りるのだろう。

夏かと思えるような日があるかと思えば何度も遅霜注意報が出るような寒い朝があったり、今年の天気に振り回されている感がある。これまでも、今日が最後かと期待して春の庭作業を進めるのだが、夕方予報を聞いては慌てて鉢を取り込んだりなんとも落ち着かない。
とくに、蘭は引っ越してこのかたまだ一回も植え替えをしてないので、今年こそはすべての鉢の手入れにいつも以上に忙しくなりそうなので余計やきもき、はらはらさせられる。
自然が相手だから文句の言いようがないとはいえ、やはり気候は暦通りがいい。

泥はね

雨だれに勿忘草のお辞儀かな

軒下に植えてある忘れな草を雨だれが打つ。

泥はねの跡がかわいそうだからと周りにもみ殻を敷いてやったら、もう泥はねはかからなくなって薄汚れた白い花もきれいになったのだが、ときおり落ちてくる雨だれに花柄がぴょこんとお辞儀してはまたもとに戻るのを繰り返していた。

背筋を伸ばす

乱るるも予定調和か萩若葉

萩の芽が日に日に伸びている。

しかも直立したまま50センチ近くまでになり、これがあの萩の若葉の姿なのかとあらためて驚いている。
1メートルも伸びてくるとやがて己が姿勢を保てなくなって各枝が乱れ、それがまたかえって優美な姿として楽しませてくれるわけだが、茎が柔らかくても背筋をピンと伸ばした姿もなかなかいいものだ。

追)また今日もちょっと赤くなったばかりの苺がちぎられていました。犯人は誰なんだろうな。

日当たり

母見よと君子蘭おく仏間かな

外に比べて室内の気温が比較的高いせいか、日当たりが一番いい仏間に置いた君子蘭が今満開である。

例年ならばこの時期には鉢ものはすべて外に出して秋までたっぷり外気にあてるところ。しかし、今年は未だに霜注意報が出るほど朝の冷え込みがきつい日があるので、蘭はじめ室内に取り込んだ鉢物はまだ外へ出せないでいる。
もういいかと思って先発組のオレンジなどを出してはみたものの、天気予報などをみては慌てて取り込んだりする日々が続いている。明日はもう大丈夫かなと思っていたが、今テレビを見ると再び注意報が出たようである。やれやれ。

道草

鳧の子の即かず離れぬ間合いかな

この時期になると大和川沿いの田や畑は賑やかな声が響かれるようになる。

というのも、雛鳥に呼びかける鳧(けり)の声が甲高く大きいからである。この声を聞くと近くに雛がいるんだなということがすぐに知れる。
ただし、雛は親のすぐそばにいるわけではなく、だいたいが10メートルくらいの範囲の草むらの中などに姿を隠しながら散歩しているのだ。そしてそれがまた道草が好きと見えて、いくら親が呼びかけても至ってマイペースでなかなか親に駆け寄ろうとはしない。
天敵などが襲ってきたらどうするんだろうとハラハラしながら見ているが、親もまた至ってマイペースで時々甲高く鳴いては辛抱強く雛たちを見守っている。

ところで、名前の由来は「けりり」とか「きりり」とか鋭く甲高く鳴くことからきているが、「けりをつける」の「けり」は全く別で、完了の助動詞「けり」からきているらしい。

犯人は誰か

色づけば鳥にさらはる苺かな

プランターで育てている苺がことごとく何者かに持ち去られている。

ある程度の大きさになってほんのり色がつき始めたところで、蔓の部分から、あるいは蔕を残してスパッと断ち切るような跡を残して見事に消えてしまうのだ。
小さな鳥ならばまだ熟してもいない苺をついばむことはないだろうし、だいいち切り口が平らな食べ方はできないだろうと思う。やはり、これは嘴のもっと大きい烏の仕業ではないかと思うのだが。

今日もまた一個赤く色づき始めたので、次のターゲットになるのだろうか。

誤字

ドライヴの視野の齣なる花馬酔木

ある句会に投句したものだが、披講となって肝をつぶした。

誤字というミスを犯したのだ。誤字は文法的誤りとともにその段階で失格も同然。仮に、直ちに誤字とされなくても全く別の意味になってしまうようでは句意を正しく伝えることはできない。
「馬酔木」というのはそれだけでは季語にならないで、「花」あるいは「咲く」を伴ってはじめて春の季語とされる。
その花というのはスズランのような花が房なりになるのだが、「風に揺れる」「鈴の鳴るよう」「(花の)白さ」だの、「花馬酔木」そのものを詠うとどうしても類想的な句に陥りやすく大変難しい季語だと思う。だからこそ「花馬酔木そのもの」の状態を詠わないに苦悶しながら、ようやく掲句となったのだが肝心な部分「齣」が「駒」になっていた。

車を運転していて視野の隅にとらえた一瞬の花馬酔木。自分としてはうまく言い得ているようで満足もしていたのだが、誤字は痛かった。