掘り出し物

露地売りの筍並べるまでもなく

並べ置くまでもなき筍を売る

裏山の筍今日も掘りて売る

昨日妻がスーパーへ行ったついでに買ってきた露地売りの筍の絶品だったこと。

自分ちの竹林から朝掘ってきたばかりと見える、いかにも柔らかそうで香りいっぱいの筍がスーパー出口の露地で売っていたんだと。あまりにうまかったものだから、今日もと出かけたらすでに完売で明日の入荷は分からないという。おそらく口コミなどもあって、量にかぎりのある筍は並べる間もなく売り切れてしまったのだろう。安くて旨いものはみんなよく知っていると言うことだ。

商売に欲がないと見える売り主には、限られた期間だけでしかもいくらもない量の筍を売ったところで小遣い稼ぎ程度にしかならないだろうが、こうして気候もよくなってくると畑作業に精出して働けることを喜んでいるに違いないし、まして旨かったと言っては毎日でも買いに来てくれる客のあることは何よりの励みとなろう。

一年を通した竹林の手入れなくしてうまい筍は採れないという。また来年もいいものを提供してくれることを期待して売り主のつつがなきを祈る。

木の芽どき

花粉症治まる兆し春土用

立夏前の18日間を春土用という。

今日17日が「春土用入」にあたる。年に四つある土用というのはちょうど季節の変わり目にあたり、どの土用でも体調に影響を受けやすいと言われる。木々が一斉に新芽をだして春本番だなあと思わせるのはいいが、体調に異変をきたす意味でよく使われる「木の芽どき」とはまさに今の時期なのである。

ただ、同時に今は杉のあとの檜花粉の飛散が下火になってようやく春の花粉症から解放される頃でもあるのだが。

追)予約投稿日の設定を間違えて18日としてしまった。バックデートして本来の17日分とします。

鯉の恋

乗込の鯉の腹みせ水叩く

いつもはあれ程岸辺に集まることはないが今日はちがった。

橋の上からもはっきりと分かるほど、芽吹き柳の木の陰の浅瀬で、なかには腹のやや赤いものもいて何匹もの鯉たちが体を激しくこすりつけ合うように泳いでいる。テレビなどでよく見る魚の産卵シーンが、今眼下で繰り広げられているようだ。
時々浅瀬を叩くように大きな水音をたてながら遡っていくものもいれば、腹を見せるようにひらを打ちながら体をくねらせているのも見える。
どれが雌だか雄だか、ちょっと離れた橋の上からでは判別はつかないが、間違いなく鯉たちの産卵風景なんだろう。

車内は温室

堂屋根の黒光りして山笑ふ

今外へ出ると、目に見える山はすべて木々が芽吹いて春の山そのものである。

とくに、平群の里から眺める東西両側の山は大半が落葉樹だけにその感が強い。やや小高いところにある、寺のだと思われる広くて黒い屋根が膨張色となった新芽の色に囲まれると、さらにその存在を強調するかのようだ。

車を走らせていると、花粉などで窓を開けられないので、もうエアコンなしにはいられないくらい車内は温室と化している。

岩ばしる垂水の

みこころをまさり猩々袴かな

鏡王女の歌碑
秋山の樹の下隠り逝く水の吾こそ益(ま)さめ御念(みおもい)よりは 万葉集巻2-92 鏡王女

猩々袴が咲く谷沿いに上ってゆくとその歌碑はあった。

王家の谷「奥の谷」では舒明天皇陵のさらに奥に鏡王女の墓があるというので逸る気持ちを抑えながら細い道を上るのだが、最初は王女の墓にたどりついてもその歌碑が見つからなかった。それもそのはず、その歌碑(揮毫犬養孝)は谷の小さな流れの中にあったので気づかなかったからだ。
天智の歌「妹が家も継ぎて見ましを山跡なる大島の嶺に家もあらましを」に対する返歌だが、「落ち葉の下に隠れて見えない水、水脈のように流れている水のように、外見では分からないでしょうけど私のあなたへの思いははあなたの思い以上に深いのよ」という、まさに歌そのものに似つかわしい佇まいと言おうか、大水でも出れば急流に翻弄されかねない場所に据えてある。

なお、犬養「万葉の旅」に掲載された写真では王女の墓は松の木19本に覆われて孤影悄然たる雰囲気が漂っているが、今ではすっぽりと覆う杉に替わっていて風景がまるで違う。今は桃の花と薄墨桜が満開である。
鏡王女の墓

なお、鏡王女は額田王女と姉妹だとされているが、奥の谷と呼ばれる舒明ゆかりの狭い谷にどうして彼女だけが埋葬されているのか。実はそうではなく、彼女は舒明と関係の深い女性だったのではなかろうか、たとえば親子、少なくとも養女ではなかったか、という思いを強くして下山したのであった。

モチーフは塼仏

麗かやおはす脇侍の六頭身

三尊石仏さんのうち薬師如来とされる仏さんは椅子にかけた座像である。

一方、脇侍の両肩侍像は立っておられて、六頭身のせいかどうかどっしりと見える。加えて、三体とも大変柔和な表情をしておられるのが白鳳彫刻の特徴だそうだ。
平面な石板に彫られた像なのにこのように立体的に見えるのは、さまざまな工夫が随所に施されているためで、モチーフとしては飛鳥の「橘寺」の塼仏に酷似しているという説明があったが、私にはむしろそっくりのように見えて、この塼仏をモデルに彫られたものではないだろうかと思えるのである。

諸葛菜の里

歌人の眠る丘へと諸葛菜

奥津城の標しならんや諸葛菜

集落の北側、現地で通称「奥の谷」と呼ばれる舒明天皇陵や鏡王女の墓があるエリア入り口で諸葛菜の花が咲いていた。

白鳳の石仏さん

野遊びや薄紅引ける仏さま

忍阪へ
天王山古墳の探検のあと、忍阪の集落に下る。

ここは神武東征の際、現地勢力の抵抗があったとされ神武が楯としたと伝わる岩などが残されている古い土地だ。
最初に着いたのが石位寺で、白鳳時代作と伝わる薬師三尊石仏(重文)が「さあ、どうぞ」と言わんばかりに我々一行を待っていてくだすった。というのも、この仏さんは常時公開されてるわけではなく拝観するには事前に連絡が必要で、この日のために地区の町おこしプロジェクト「TEAM忍阪」を代表して、区長さん(写真マイクをもっている)自らがこのあとも各所を案内くださるなど、準備万端整えていただいたおかげだったのだ。
忍阪地区長さん

仏さんは大変保存状態がいい。というのは、かつて全体を黒漆で保護し、要所要所が金箔だったことや、おそらく屋内保存の期間が長かったことなどが要因である。一説には、額田王女の念持仏だったということだが、真偽のほどは分からない。
山口誓子の詠んだ「雨蛙黒き仏の宙に鳴く」の「黒き仏」というのはこの仏さんが漆塗りだったことを言ってるのではないだろうか。

いずれにしても、忍阪に興味をもたれた方には先に紹介したTEAM忍阪のホームページが大変よくできているので一読をおすすめする。