背を丸め威嚇もして見す子猫かな
もう、しばらくは子猫の連発だ。
とにかく仕草がかわいい。じゃれあっているのも狩の練習なんだろうが、おたがいに背を逆立てて斜行しながらにらみ合ったりして、いっぱしの行動もする。親や他の子の尻尾にじゃれついたり。一日に何度もおっぱいをもらい、昼寝していたかと思うと暫くしてまた起き出しては遊び。この繰り返し。窓越しに見ているのだが何時間見ていても飽きないのだ。

めざせ5000句。1年365句として15年。。。
背を丸め威嚇もして見す子猫かな
もう、しばらくは子猫の連発だ。
とにかく仕草がかわいい。じゃれあっているのも狩の練習なんだろうが、おたがいに背を逆立てて斜行しながらにらみ合ったりして、いっぱしの行動もする。親や他の子の尻尾にじゃれついたり。一日に何度もおっぱいをもらい、昼寝していたかと思うと暫くしてまた起き出しては遊び。この繰り返し。窓越しに見ているのだが何時間見ていても飽きないのだ。
顔見せに連れ来し野良の子猫かな
毎日餌をやってる野良猫「みぃちゃん」こと「都」が今朝子猫を四匹連れてきた。
子猫たちは今、冬の間みぃちゃんのために用意していた段ボール箱の中でおっぱいをもらって昼寝中だ。三毛、キジ虎、白+キジ虎、黒と毛色も四者四様で、ちょうど生後2ヶ月くらいだから可愛いことといったら。
どうやら交通量の多い道路をわたった先の農家の納屋で育てていたらしい。最初の納屋ではオーナーに見つかり追い払われたようで、その後の行動パターンからもう子猫は死んでしまったのだとばかり思っていたので、今朝箱の中でごそごそ動く気配でそれはもう驚いたこと。子の生命力もそうだが母猫のたくましさには驚くばかりである。それに、一体どうやって広い道路を渡って四匹も連れてきたのだろうかと感心してしまう。
問題は、子猫たちの将来で、とても全部は面倒見られないのでもらってくれる人を探さねばならないこと。何しろみぃちゃんは人に対する警戒が人(?)一倍強く、毎日餌をやってる私らでさえ抱くことはおろか触らせもしないので、避妊手術を受けさせることもできなかったのである。まずは子猫を手なずけながらみぃちゃんの警戒を少しずつ解いてゆくしかないのだろう。そのうえで避妊手術も済ませなくては。
いずれにせよ、今までの場所で子育てするより我が家の庭の方がいいと判断したのだろうから、ある程度の信頼感を抱いてくれているはずだし、頼られた以上は面倒はみずばなるまい。
いやはや、何かと慌ただしい5月になりそうである。
苗売の言ふままあれもこれも買ひ
ゴールデンウィーク中のホームセンターの混み様はただごとではない。
DIYコーナーもそうだろうが、園芸コーナーのことである。野菜や花の苗もその種類や数は普段の倍以上もあろうかというくらい並べ立てられ、みんなバスケットに次々に放り込んでいく。
よく行く園芸店はとくに野菜苗のいいものが揃ってるというのが評判で、中国まで指導に出かけるという店主のアドバイスも菜園初心者にはありがたい。話を聞いてるだけでもう収穫が約束されたも同然のような錯覚にとらわれてしまうので、ついあれこれ前後の見境もなく苗を買ってしまい、買ってしまってからどこへ植えるのがいいのか頭を抱えてしまうのである。
素人の菜園というのは、言ってみれば宝くじのようなもので当たれば儲けもの、虫にやられたり病気になったりしてなかなか店で売ってるようなものというのはできないもので、収支損益など考えてたらとても成り立つものじゃない。趣味だからこそ、菜園を賃借することから始まり、やれ鍬だ、肥料だ、支柱だ、トンネル用シートだ、苗キャップだの、あげく一株何百円もするような苗を平気で買うのだ。そういう趣味のものだからこそ、苗を選んだり、栽培方法をネットで調べたりすること自体が楽しくてならないのである。
古寺に六十路の学や春闌ける
説明を聞き逃すまいと体全体を耳にして歩いた時間はあっという間に過ぎていった。
メモを取るいとまもなく次から次へ移ってゆくので、終わってみると細かな部分がすっかり欠落している。このペースではとても吟行にならず、手にした句帖は持ってきたままで全く埋まらない。こうなると、修学旅行に来ている生徒に混じってひたすら列に並んでは説明についていくしかない。
参道の一本道や松の芯
法隆寺の南大門に通じる参道は見事な松並木である。
その両サイドを道路がはさみ、道路の脇には大型バスが何台も駐車できるスペースができていて、修学旅行や遠足のバスが到着するたびに学童、学生の列が松並木に沿った歩道を南大門に向かって先生に引率されてゆく。
松並木に沿った歩道、というのは実際にはこの参道を歩く人はまれだからである。南大門から国道25号線に向けて300メートルほどまっすぐに伸びる参道は途中で一カ所でしか切れてないので簡単には入れないのにも原因がありそうだ。この参道から、南大門、西院伽藍の中門、大講堂が一直線に並んでいて、訪問する順序からいえば南大門から大講堂へ向けての方角しか目にとまらないが、大講堂から振り返って眺めてみると、壮大な飛鳥建築の全貌のみならず、はるか南大門の奥に松並木が捕らえることができるという大変ぜいたくなシーンなのである。

行春や鐘は正午を告げにけり
西院伽藍の左奥の西円堂は拝観コースから外れていることもあって訪れる人はまばらである。階段を昇った一段高いところにあるので、木の陰から五重塔や金堂を見下ろすことができるし、遙か三山も見渡せる位置にある。
この日は春霞で残念ながら遠くまで見通せなかったが、太子はここから20数キロの道を馬で飛鳥に通われ、通われたみちは「太子道」、あるいは斑鳩と飛鳥小墾田宮(おはりだのみや)が直線的に結ばれていたので、古代道とされる「中ツ道」や「下ツ道」とは斜行する形になる「筋違道」とも呼ばれている。
話を鐘楼に戻すと、この鐘が子規が詠んだあの鐘なんだそうである。西院伽藍の外、鏡池ほとりにあった茶店はもうないがその跡とされる場所に子規自筆の句碑が建っていた。

ボランティアさんによるガイドが終わったときその鐘が正午を告げた。
若かえで飛鳥古仏のほそおもて
今、法隆寺は楓もみじの若葉がまぶしい。
平日のせいか一般客は多くないが、そのかわり修学旅行シーズンとあって境内の何処もが大渋滞。外からしか拝めない金堂や五重塔などは内部の仏さまをじっくり見ることができないのが残念といえば残念である。
ただ、日本で最初に認定された世界遺産であり、至宝の宝庫でもあるので、若い人たちはじめ出来るだけ多くの人に見てもらうためにはやむを得ないのかもしれない。
一方、教科書でよく出てくる「百済観音像」(飛鳥時代)、「玉虫厨子」(飛鳥時代)、「夢違観音像」(白鴎時代)などの宝物類は平成10年に落成した大宝蔵院に多数安置されていて、ガラス越しとはいえ間近で見られるのはありがたい。
百済観音さんのすらりとした長身を横から眺めると全身をゆるやかにして立っておられるのがよく分かるし、この時代の特徴である細面は正面と横からみるのでは表情が微妙に異なって見えたのが印象深かった。
さらに今日のボーナスは、ちょうど今の時期だけ公開されている夢殿内の厨子に安置されている「救世観音像」(飛鳥時代)である。太子等身の秘仏とされ、開かれた厨子の中に佇んでおられるのを中学生と一緒に拝見することができた。