抱っこ

おぶ紐の赤子なでゆく植田風

前抱きしているからまだ赤子に近いのだろう。

歳もよく似た若いお母さんたちがたんぼ道を散歩している。
苗はまだ幼く、青田には少し早い。生まれたばかりの赤子もみるみる大きくなってくる夏である。

間引き

青柿のみな太るには枝細き

上へ上へ伸びた枝に青柿がよくついている。

今年は生り年のようで、花の落ちるのも少なく一枝に何個も実をつけている。
これらがこのまま全部大きくはならないにしても、かなりの数が残ると思われる。すると重量に耐えかねた枝がしなってますます場所を広げそうである。
あまり茂らせても光りが届かなければどれもうまく育たないだろうから、秋口には枝梳きをして実の間引きもやらねばなるまい。
二年続きで不作だったから、今年こそ大事にだいじに見守っていきたい。

かくれんぼ

去るとみて遁術つかふ蜥蜴かな

かくれんぼ遊びをしているようだった。

遁術の名人は角を曲がって逃げたかと思ったが、そっと覗いてみるとこちらを伺う目と目があった。
そのまましばらく睨めっこ。こちらが動けば敵も逃げる構えのようだ。
ただ、その目には警戒心を感じるものの、恐怖感はなさそうなあどけなさが見える。
人間と適当な距離をおくことを生まれながらに知っているようで、無碍に殺生もなるまい。
爬虫類は好きではないが、小さな蜥蜴ならばそれほどの嫌悪感は起きない。むしろかわいいとさえ思えるのが不思議である。

地中の営み

土竜さまお成りの径の梅雨茸

ピンポン玉より大きい。

円くて大きくて白い茸が土竜のトンネル線上に沿って点々と生えてきた。毎年ところどころ土が盛り上がり、土竜の通り道だとは分かっていたが、そのラインをなぞるように。
土竜のトンネルには茸を育てるような菌がきっとあるのにちがいない。適当な湿り気と空気があって茸のもととなる菌が生まれやすい環境がそこにあるのだから。
土竜いるところに蚯蚓あり。蚯蚓は土中の未分解な有機物を餌として、その糞が土を肥やす役割がある。蚯蚓によって生まれた肥えた土には多様な生物が生まれ、菌もそのうちのひとつ。その様々な菌のネットワークが植物の根とつながって地上の生態系も豊にする。腰を落として眺めていると、地中の中の営みが見えてくるような聞こえてくるような、そんな優しい気持ちに包まれる。

二本植え

余り苗五枚朽ちたる畔の上

志を継いで無農薬の田の管理を引き受けたはいいが。

素人ゆえの悲しさか、おそらく農協から買ったものだろうが多くを余してしまって、捨苗にするにも多すぎる。
結局苗箱何枚もの苗が使われることなく干からびてしまったのをみるにも辛い。
田の隅の方がずいぶん無駄に空いてしまっていて、いかにも馴れない田植機を使ったことが知れる。普通ならば、このようなごく狭い田などは機械の入らないところは手植えで補うものであるが、それすらもされてない。
こんなに余すのなら、二本植えのところ三本植えにすればかなり無駄がなくなると思うのだが、これもまた無農薬ならではのこだわりがあるのだろうか。

手を休めず

しがみつく汗振りほどく暇もなく

ほんのわずかの梅雨の晴れ間を狙って肉体労働。

晴れてはいても梅雨独特の湿度があってなかなかにきつい。
腰を上げるまでは長いが、いったん上げるととことんやっておかないと次はいつになるか分からない。
いつの間にか玉の汗が吹き出していて、帽子から額に流れてくる。
こんな時はさらさらの汗になりがちなので決して不快ではないが、長く続けては危険だという声が聞こえてくる。
水分補給して小休止。予定通り終わるまで何とかがんばろう。

棄民政権

六月の水よく走る側溝に

遅れてきた分を取り返すように梅雨の雨がよく降る。

それも、かなり強い雨が。
今年は海水温が異常に高くなっていて、降れば豪雨、晴れれば高気温高多湿と大変厳しい夏になるようである。
この雨の降りようはまさにそれを証明しているようでもある。
この先どんな悲惨な災害があるやもしれず、災害に苦しむ民にこの上なく冷たい今の自公政権のもとでは悲観するしかないのが悲しい。