三割

漬けるほどなき梅の実の落ちにけり

春の剪定を忘れた梅が大茂りである。

冬から花がいっぱいつけただけに実の出来を心配していたが、葉をかき分けてさがせどもやはり全くの不作である。気温が低い時期に咲いたので虫も寄ってこず受粉もうまくいかなかったようである。
同じことは南高梅の産地・和歌山でも同じらしく、例年の三割の作にしかならないと聞く。
落ち梅もほとんど見当たらず淋しい梅雨の雨である。

洪水警報

遅れたる梅雨入ついりの雨の手荒なる

盆地中央部に洪水注意報がでるほどの雨だった。

大和川を通りがかったら、散歩用アンツーカーの赤茶が美しい河原にも水があふれている。
予想通り、今日梅雨入りした模様との発表。模様とは変な言い方だが場合によっては取り消しも含めた訂正があるということらしい。
いずれにしろ、明後日にはまた雨だというのだから遅まきの梅雨期に入ったと考えていいだろう。
土砂降りの雨も朝の十時ごろには小止みとなり、やがて真っ青な夏の青空が顔を出した。とたんに、気温がぐんぐん上がりだしてちょっと体を動かしただけでも汗がだらだら流れてくる。
梅雨入り即梅雨晴れ間という大変あわただしい一日である。

息止めて

まくなぎの径通らねば帰れない

めまといである。

河川の堤防や畦道などで、ごく小さな羽虫が蚊柱のように群れていて、しかも多くが目の高さに集まっているので迷惑なことこのうえない。へたすれば、目の中にも飛び込んできそうで、手で払おうとしてもなかなか散らすことも難しい。
結局、まくなぎ地獄から逃れるにはその場を少しでも早く立ち去ることしか方法がない。
歩いているときはいろいろかわしながら逃れることもできるが、これが自転車の時は悲惨である。片手しか使えない、しかも目の高さは一定だから厄介である。うっかりすると目どころか鼻や口にだって入りかねないので、息を止めて走り抜けるしかない。

焦り

信号を待つ間車を片陰に

夕方を待って一汗かく予定だった。

ところが午後五時を過ぎても風もなく蒸し暑さは変わらず、結局なにもする気がおきなかった。
後で午後当町に光化学スモッグ注意報が出されていたのを知った。
やはりやめておいて正解だったようである。あのまま無理して体を動かしたら熱中症で倒れていたかもしれないのだと。
午前中には庭の整理に汗を流し、午後に菜園仕事というのは歳のことも考えると無茶だったと言えるかも。
今日明日しか晴れの日はないというので少々焦っていたのかもしれない。
明日にも梅雨前線が北上してくるという。いよいよ梅雨入りが近い。

親の心子知らず

蔓ばかり伸びる胡瓜をなんとしよう

耕さず、肥料もやらず。

外からできるだけ余計なものは持ち込みたくないから、雑草除けのビニールマルチなどもってのほかで畝にはせっせと刈りとった草を敷く。これがやがて枯れ肥やし代わりにもなるし、動物性堆肥など使いたくないから一石二鳥である。
ただ、土が浄化されるまでに時間がかかり、どこまで辛抱できるかがカギを握る。
胡瓜も肥料が少ないから葉の緑も薄く、周りの色濃くてりゅうりゅうとした胡瓜たちと比べるとずいぶん見劣りがする。ただ、肥料で無理矢理大きくしたものでなく、胡瓜自体が環境に合わせて育つので収穫した胡瓜の味は特別である。
いくつも実をつけることなく、あっという間にネットのてっぺんまで達してしまった胡瓜だが、この胡瓜はまだ体を成長させようとしているようで、まだまだ子孫を残す必要はないと判断しているようである。胡瓜の好きなように健康的に育ってくれるのはうれしいが、菜園主としては困ったものである。

海月もどき

ペットボトルぺこぺこ鳴つて麦茶干す

麦茶をよく飲む。

毎日二リットルくらい飲んでるのではないだろうか。
外へ出るときは携帯用に500ミリリットルほどの小さなボトルに詰め替えるが、これがはなはだ心もとない。少し握るだけでぺこぺこへっこんだり、残り少なくなるともうちゃんとした形を保つのが難しい。まるでとらえどころのない海月のようである。どこのメーカーもコスト削減競争に邁進して、骨のあるボトルと言えば炭酸飲料くらいか。
炭酸物は飲まないので薄いボトルだけがたまってゆく。

祝杯

下戸とても父の日なればワングラス

母の日に比べれば影の薄い父の日である。

それを、自宅焼き肉で祝ってくれた家人に感謝。
昼間は土に這いつくばって汗を流したこともあって、冷たいビールをいっぱいいきたいところ。飲むと疲れることもあってここ十年ほどはほとんどノンアルコールで通している。冷たい缶をあけると、いっぱしの音をたてて泡があふれ、しかも味わいは本物のビールに負けない苦みもあってけっこういけるのである。
もし、普通のビールを飲んでいたらこの記事はとても生まれなかっただろう。