帰る道が往く道

墓参りすませ気持ちの一区切り

墓参りする前とすませた後の気持ちのあり方というのは明らかに違うと思う。

墓前に向かうまでは神妙で言葉も少ないが、手を合わせたあとは急に気が楽になったような不思議な達成感みたいなものがあって、一同がとたんに饒舌になり開放感に満たされるような。

今日の高速道は故郷で墓参りをすませた人たちを大勢乗せたUターンラッシュ。
所用のためこともあろうにこんな日に上り線を走ってきたのだが、かつて自宅へ「帰る」道であった上り線が今日は「往き」という、前後左右とも関東ナンバーばかりの中に混じって、なんとも不思議な感覚に襲われたのだった。

バリバリッ

稲光御霊の肝を冷やしけり

早朝ひどい雨と雷の音で目が覚めた。

今年の盆は妹に墓を任せたものの、冬になくなった猫ちゃんのお墓へは行こうと思っていたのに出鼻を挫かれた格好だ。とにかくよく降った。
そういえばこの子は雷が大の苦手で、光ったりすると真っ先に押し入れなどに逃げ込んだものだった。せっかく3日間この家に戻ってきたのに、早朝から派手な雷さまとは気の毒なことであった。

ひとつの盆用意

仏壇もともに越しける盆用意

母を引き取るについては体ひとつ、そして仏壇1基のみというまことに割り切った引越であった。

気がつくと明日から旧盆だということを知ってか知らずか、今日は一人で黙々と仏壇の整理をしている。
そのあとはしばらく故人らの思い出話につきあった。

僥倖

初秋やしばし語らふ友のあり

今日は思いがけず俳句友達のO聴君と西大寺で会うことができた。

墓参のついでに奈良にも立ち寄られたので少し時間があるという電話。
日中の暑さもものかは、とりもなおさずかけつけるように待ち合わせ場所へ。

帰りの電車の中、夕なずむ平群の風景を見ながら、声をかけてくれる友のあることに心満たされていた。

涼しい声

雑草の原も風雅や虫鳴けば

裏の区画は雑草が茂り虫たちの天国となっている。

この夏は一度も草刈りをしてないとみえ雑草が伸び放題で我が庭にも浸食しそうな勢いだが、虫たちの声を毎日聞いているとこよなく愛おしい者たちに思え、このまま草刈りしないでもいいではないかと思ったりもする。
夜にすだく虫の音を聞くのもいいが、まだ暑さが残る昼間かすかに小さな声が風に乗ってくるのを聞くのはいくらか涼しく感じ救われたような気分になれていいものだ。

夕焼けが終わった後で

遠雲に稲妻走り夕映ゆる

遠雲を紅く染めた夕焼けショーが終わると、今度はその雲の中でくぐもるように稲妻が何度も走り、雲全体をさながら提灯のように明るく浮かび上がらせる。

夕陽が背の信貴山に遮られるので地上はすでにほの暗くなっているが、空はまだ明るくそのコントラストがはっきりと分かる時間帯だ。
明るい空は高くて澄んでいるが、この時間になって上空では積乱雲が湧いているらしい。
こちらへやってくるかなと暫く見ておったが、多武峰方面にとどまったままだった。

症状

新涼や母は少女の世界にて

一緒に暮らしてみてはっきりと分かったのだけど、認知症は思ったより進んでいた。

元気がいい日は寝ないように頑張っているので、その間は家人が話し相手を務めねばならない。
毎日毎日、子供の頃の話の繰り返し。そのかわりここ数年どころか、今日のこと、さっきのことまですっかり記憶から消えている。辛抱強く相づちを打ったり、話題を変えてやったり、なるべく辛いことから遠ざけられるように。

今朝は25度を切り随分涼しかった。
そのせいか今日はとくに元気がよくて、朝から心は少女時代に遡っていた。