濠は田になりて墳墓は懸り藤
前方部分は竹の秋。
後円部分は懸かり藤。
対照的な姿を見せて中型古墳が目の前にある。長さは100メートルほど。この規模の古墳は盆地を走ればかしこに見ることができるが、どこも大方は樹木に覆われている。似たような小さな森は各地にあるが、古墳はたいてい前方後円墳でありその形から識別は簡単である。
人の手が入らないことが多く竹林が幅をきかせているので、今日のような藤に包まれて目を引くのは今の時期だけ。それもまもなく終わろうとしている。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
濠は田になりて墳墓は懸り藤
前方部分は竹の秋。
後円部分は懸かり藤。
対照的な姿を見せて中型古墳が目の前にある。長さは100メートルほど。この規模の古墳は盆地を走ればかしこに見ることができるが、どこも大方は樹木に覆われている。似たような小さな森は各地にあるが、古墳はたいてい前方後円墳でありその形から識別は簡単である。
人の手が入らないことが多く竹林が幅をきかせているので、今日のような藤に包まれて目を引くのは今の時期だけ。それもまもなく終わろうとしている。
水腹にくちくなるなり花は葉に
気温計は29度。
いっぺんに夏になって、着るものをつぎつぎ脱ぐは、茶を何杯も飲むはでなんとも忙しい。
最近どういうわけか、水分をいっぱいとると夕飯が食えなくなる。いわゆる水腹でそれだけで腹が膨らんでしまうのである。
午後はあちこち用事があって、その途中に竜田川、三室山のそばを通りかかったら桜の名所もすっかり葉桜になっていてすっかり初夏模様である。明日からまた並に戻るというが、あっというまに春が去ったという実感もある。
まづ日付ありて苗札新しき
苗札の日付に天気うらめしき
苗札の文字を隠して双葉かな
苗札。
ホームセンターで売っている苗には手書きの名札はまずない。印刷されたタグか、あるいはポットに貼られたこれも印字のラベルくらいのものである。
まして、販売用苗札に日付を打ってあるものは皆無である。
苗札や種蒔の日付は備忘録として苗づくりには必須。あるいは圓の子供たちが植えた苗に付けられたものとか。
日付からしてそろそろ発芽してもらいたいものを眺めながら、天気、気温を気にかけている。
しやぼん玉割れて見開く幼かな
彗星の尾を引くごとししやぼん玉
昨日の句会の兼題である。
いまどきのしゃぼん玉セットはストローで吹かずとも、風さえあれば彗星のように尾を引いていくつもの玉が生まれてくる。あるいは、大きく孤を描くようにストロー様のものを振り回すだけ、いとも簡単に飛ばせることができる。なので、いまや幼児にしゃぼん玉の吹き方を教える楽しみもなくなってしまった。
昔は洗濯石鹸などを溶いて、風船液を自分で作ったものだったが、、その練り具合がけっこう難しかった。濃くし過ぎるとストローの先に液がたれるばかりでいっかな玉にならないし、なったとしても重くて飛ばすことはできずストローから滑り落ちてしまうという具合である。また、薄ければ薄いで吹いている途中で割れるなどしていっこうに玉にならないのである。このように液の調整からして難易度が高いというわけである。
さらに、今度は吹き加減である。そのうえ幼児にとってはストローは吸うものとなっているので、息を吹きかけることから教えることが付け加えられる
だが、初めてしゃぼん玉を見る小さな子の表情を眺めるのは楽しいものである。
手でつかもうとしたり、割れたらびっくりしたような顔を見せたり、けたけた笑いころげたりとか。
今はしゃぼん玉はクワガタやカブトムシと同様に買うものとなりはてて、逆にとらえたり作ったりする楽しみがなくなったのは寂しいものである。
レシートに春行くガムを吐きにけり
肌寒い一日。
深夜に間近な雷鳴があり、うつつに聞いてはまた眠りに落ちた。起きてみれば曇り空。
照ったり厚い雲がたちこめたり終日すっきりしない天気で、どうも気が晴れず何もやる気がしない。
所在なくガムを噛んでみたが、手許には適当なものがなくポケットにあったコンビニのレシートに捨てる。なんともアンニュイな晩春の一日ではあった。
ブルーベリー咲くをひよどりこぼしけり
すぐ下にみぃーちゃんハウスがあるのだが。
ブルーベリーの鉢がいっせいに花期を迎えていて、それを啄みにひよどりファミリーがやってきた。
さっきから見ているのだが、かれこれ三分は去ろうとしない。じつに剛胆である。
これだけ食われたらもう実は期待できないと思われるかもしれないが、ブルーベリーはひとつの花房から10個ほど実をつけるので、生りすぎると木がもたなくなるため冬の間にあるていど花芽を摘んでおくことをする。
今年はそれを怠っているので、少々つつかれたところで問題ないというか、むしろ好都合なのである。
それに、どうせ実がなる頃には巧妙に食べ頃の実ばかり狙って知らない間にもっていかれるので、目くじらたてることもあるまいと腹をくくっているところである。
それよりも、花や実を夢中でむさぼっていてみぃーちゃんに襲われやしまいか。そちらのほうが気がかりである。
一つ風呂浴びてもひとつ八朔柑
説明を聞いて膝を打った。
「八朔」と言えば旧暦八月一日のことで、農家では秋の実りの前祝いとして諸行事が執り行われてきた。
ところが、柑橘の「はっさく」は春に出回る。これは永年の疑問だったが、八朔柑というのは八朔の頃から熟しはじめるからだという。すでに江戸時代後期に広島県で発見された、文旦の雑種ということである。
正月過ぎまでの温州蜜柑、これに続いて伊予柑、これがピークを過ぎる頃に最も出回るようである。
果汁は多くも少なくもなく、ほどよい酸っぱさと甘さ、食べやすいのがいい。
一日最低一個はいただくくらい好きな柑橘である。