悪寒して茶粥吹いてる風邪ごこち
前回同様ひどい倦怠感。
風邪ひいたように背筋もこわばる感じで一日臥せっていた。
当然食欲もわかないがやはり何かを食べなきゃと茶粥を所望した。
こんな痛くて、しんどい副作用を我慢してまでワクチンを打たなきゃいけないのか。
次回もこんな葛藤に悩まされるのだろうか。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
悪寒して茶粥吹いてる風邪ごこち
前回同様ひどい倦怠感。
風邪ひいたように背筋もこわばる感じで一日臥せっていた。
当然食欲もわかないがやはり何かを食べなきゃと茶粥を所望した。
こんな痛くて、しんどい副作用を我慢してまでワクチンを打たなきゃいけないのか。
次回もこんな葛藤に悩まされるのだろうか。
ブロワーに落葉の右往左往かな
ブロワーに追はれ落葉の相寄りぬ
第五回目のワクチン日。
みなさんコロナ馴れしたせいだろうか会場には長い列もできず、受付からスムーズに運んであっという間に経過観察の15分も過ぎた。
自宅から10分ほどの距離なので歩いても行けるが、万一のことが頭にあって車で行くこととした。当然ここも空いていて拍子抜けすることとなった。
会場の公民館、町民ホールが付属する体育館施設ががらんと広くみえる接種者が少なく、スタッフの姿だけが異常に多いというのが第一回目、第二回目の頃とくらべて全くちがうところである。
BA4、5型対応ということだが、この冬はまたその変異体の何たら型であるらしく、ワクチンと変異のイタチごっこのようなものである。弱毒化しているようでもあり当初ほど怖れる必要はないようなので、いつまでこんなことをしているのかとは思うが、やはりもしものことが頭にあるので今回も受けることにしたのだが、さて。
会場の周囲は春の桜が見事だが、桜紅葉も終盤にさしかかって道路やアプローチにはしきりに落葉が降る。インフルも本番のようである。
旧かなの路標かたぶき冬ざるる
雨に閉じこめられた一日。
十一月の雨はときに冷たいものがあるが、今年はどういう関係だろうか意外に暖かい雨が多い。
今日も朝の冷え込みがやわらいだせいか、昼間の気温がたいして上がらなくても寒く感じることはなかった。
暖房することなく普段着で過ごせるのはいいが、ここのところ秋の季題ばかり詠んでしまうのも季節感がすこしずれてきていることもあろうか。
信貴山旧参道にある今にも傾きそうな古家の角に、これまた傾いた古い道標がある。曲がりくねりながら徐々に登ってゆく旧道は道幅も狭くてレトロな佇まいはそのままである。その街道を囲むようにある新興住宅地の明るさと比べ、その落差の大きさにかえって旧道が冴え冴えとしてくるような気がするのである。
北向きの藪に曲がれる竹を伐る
今どき竹を伐るということは滅多にないだろう。
竹といえば、子供の頃釣り竿、チャンバラの刀などいろんな遊びにさんざん使つたものだが、今の子供たちには遠い存在となったようである。
金属やプラスチックなどいろんな素材が開発されて竹にとって替わるようになり、竹自体の用途もかぎられてきている。
さいわい田舎で過ごしていると、誰が管理しているかもわからない竹林はいくらでも見かけるし、一本や二本くらいいただいてもだれも文句を言われない。
市民菜園でも適当な太さのものを伐ってきて、土留めや足場を組んだり、ちょっとした小屋の骨組みにしたりしている。
今日はいつもお世話になっているご老体が支柱用に竹を伐りたいというので、お手伝いをしたついでに自分用にも二、三本頂くことにした。農具をしまうラックでも組もうというわけだが、さてどこに据えればいいか。これから考えることとしよう。
ところで、季語は「竹を伐る」だが、これは昔から「竹八月に木六月」と言い、陰暦の八月が竹、六月が木の伐採の好期とされ、陽暦に換算すると九月以降十月頃くらいまでが竹の伐り時だ。竹の子が成長してたあとすっかり大人になるころと言えよう。
人肌にふれて綿虫大往生
戯れでつかまえようとしてはいけない。
帽子で取ろうとして起こした風は、人間でいえば風速40メートルくらいの衝撃を受けてしまいそうにか弱い。両手で捕まえれば時速100キロくらいの車でぶつかれたような衝撃が走りそうである。
まして、両手などに受けて人の体温に触れようものならそれはもう火傷するにちがいない。
実際に、つかまえたときにはすでに死んでいた経験がある。
ほんとにはかない生きものである。だから風のある日に目撃することはまずない。
雨上がりの今日、夕方になってはじめて綿虫が浮遊するのを見たが、数は多くなかった。
爺鋏婆は籠もて柿を取る
通るたび見とれてしまう柿の木がある。
この家の生り年、裏年というのは次元がちがうのである。
今年の驚異的な生りようから、去年は裏年であったことが分かるが、それさえも一般家庭の生り年を大幅に上回るできだったのである。
今年も老夫婦が共同して柿を収穫していたが、一枝に十個は軽い成りなのである。二人で毎日十個ずつ食べても年内にはとうてい終わらないほどの圧倒的な数である。洗濯物を入れるような籠に収穫していたが、あれではいくつあっても足りないレベルなのである。
おそらく子供や孫、知人などにもお裾分けされると思われるが、それでも余ってしまうに違いない。
いったいどう剪定すればこんなに生るのだろうか。いつも枝振りを観察するのだがよくは分からない。
分かっているのは、収穫しやすいように木を高くしないということ。元気な徒長枝でもせいぜい高鋏が届く範囲にとどめるように仕上げてある。それは高齢の主人をおもんぱかってのことであろう。
通りから眺められる庭木を見てもプロの植木屋が手がけているのは一目瞭然なので、この一本のコンパクトでいて充実した枝振りの木も職人の技である。
我が家の柿の木も去年から整形の途上であるので、参考になればと眺めるのだが勘所がつかめないのがもどかしい。プロの技の所以たるところであろうか。
塒入る鵯の竹林にぎはしき
信貴山に源を発する川の谷は深い。
短い距離を一気に斜面を駆けて大和川にそそぐため、両岸が削られたのだろう。
その深い谷の両岸がまた孟宗の竹林でおおわれており、谷の様子をうかがうことも難しい。
鶯の逍遥する谷でもあるのだが、鳥たちにとってはいい風除けとなっているとともに天敵から姿を隠すにも格好の場であるらしい。
信貴山に早い日が沈むとあたりは急に肌寒くなり昼間の暖かさはどこかへいくとともに、夕闇が一気に迫ってくる。
家路を急いでいると、竹林から雀の群のさざめきのようなものが聞こえてくるが、近づいてみるとどうやら鵯の群らしい。こんなところにも塒がるのだなあと、雀のお宿ならぬ鵯のお宿を発見するのだった。