感服

歳暮ともつかず手打の蕎麦贈る

習い始めたという蕎麦が届いた。

テレビなどで素人が挑戦する場面を見ると、最後の刻む段になってたいがいが太さもまちまちの、見た目からしてうまそうには見えないことが多いが、たまにコメントをくれるH君の場合はちがった。
これは性格がなせる技かもしれないが、まるで器械ででも刻んだように細く曲がりのない見事なできなのである。
学生時代以来の友人だが、そんな細かなことが得意とは意外で、話を更に聞くと公民館の料理教室に通っていて今は蕎麦打ちコースに挑戦中なのである。
結婚式に招かれたときも、いつの間に洗礼を受けたのか、聖徒として教会で神妙な顔つきで誓いの言葉を述べていたのにも驚かされたが、彼にはこうしてときどき驚かされることがある。
学生時代、ポン友であったり、一緒に悪行の数々をなしてきた同期から見てもそれはそれは意外な変貌に映るのである。
お孫さんの誕生でご夫人が長い間留守をしていても、自分の飯くらいちゃんと作れるというのだから、かつての悪友からすれば到底及ばぬ高みに到達したと感服するしかないのである。

救い

夜話やそんなこと俺言ったっけ

いまどき炉端談義などすることはないだろう。

これも古い季語になりつつあると言えるが、炉端でなくとも状景を変えれば夜遅くまで話し込むということはある。
たとえば電話での長話などがそうである。すっかりリラックスしながら話すうちに、古いこととなると自分はすっかり忘れていても、相手はしっかり覚えているということはよくあることである。
「そんなこと言ったっけ」「そんなことあったっけ」と返しながら、かすかな当時の記憶をたどるのである。
いずれにしても、自分も相手も傷つくような話ではないのが救いである。

向寒

木枯や木末は天にそりかへり

風が冷たくなってきた。

道路に落葉がさかんに降ってくる。
歩道には踏みしだかれて固く締まった部分もあって、いよいよ冬ざれ感がましてきた。
染井桜はすでに裸同然。雑木がめだつ盆地四方の山々は黄葉、紅葉のミックスで彩がほんとうに豊かで心を和ませる。
十一月も今日でおしまいと同時に、明日からはいよいよ寒い師走。
心して向寒の肚を固めたい。

負荷

しぐるるや架けある豆の莢しずく

もうずいぶん乾いたなと思う豆稲架に無情の雨。

例によってどこへも行かず一日家で過ごす。
運動不足解消にと階段を何往復か試みるが、ガタの来ている太股が長く保たないようである。息も上がるしすぐに終了となるも、体も温まっていい運動になった。
この冬も出不足がちになりそうだが、ちょっと負荷がかかる程度の運動はやはり必要だろう。

汗のかき終い

谷筋の風に綿虫生まれけり

逆光を浴びながら浮かび上がってくる。

信貴山の麓を下る谷筋に生まれる上昇気流にのって次から次に綿虫がわいているようだ。
手にとればつかまる高さまで浮いてくるが、へたに触るとたちまち死んでしまいそうで見るだけにしておく。
今日の数からしていよいよ本格的な冬の到来だと思われるが、まさに明日明後日の雨の後は急に冷え込むのだという。
二十度をこえる穏やかな日は今日でお終いというので、午後からは力仕事でおおいに汗をかいておいた。
あっというまに十一月が過ぎて、一年の最後の月がもうそこにまで来ている。
気分的にもあわただしい月だが、明日からの雨は穏やかに過ごせそうである。

洗浄

たはし持つ手には冷たき手水かな

日勤の猫トイレ清掃。

仕上げは洗浄である。
朝一番の水使いはこれから辛いものがある。
年に一度や二度は水栓が凍ることもある。さすが盆地の底冷えである。
四匹のうち二匹がX脚でうまくしゃがめないこともあって、猫砂ではなく猫トイレの壁に向かって用を足す。それを受けるために敷いた紙の始末やらトイレ洗浄が毎日欠かせないのである。
そこで束子は必需品。
今日から新しいものに交換して冬に備える。

赤いトマト

さざんかのつぼみも色をますころに

蕾がほんのり色づいてきた。

今年の南天の実は色は悪いが悪いなりに赤くなっている。柊も満開を過ぎようとして甘い香りを放っている。
つづいて山茶花もいよいよ開く準備を終えたようで日に日に膨らみを増してきた。これよりは二月ほど咲いては散らし、咲いては散らしを繰り返して一画を明るくしてくれるだろう。
庭のミニトマトも最後を飾る粒が赤らんできた。これよりのちの粒は青いままで終わるだろう。
暖かい冬もあと少し、来週からは本格的な冬に戻るそうである。