歳暮ともつかず手打の蕎麦贈る
習い始めたという蕎麦が届いた。
テレビなどで素人が挑戦する場面を見ると、最後の刻む段になってたいがいが太さもまちまちの、見た目からしてうまそうには見えないことが多いが、たまにコメントをくれるH君の場合はちがった。
これは性格がなせる技かもしれないが、まるで器械ででも刻んだように細く曲がりのない見事なできなのである。
学生時代以来の友人だが、そんな細かなことが得意とは意外で、話を更に聞くと公民館の料理教室に通っていて今は蕎麦打ちコースに挑戦中なのである。
結婚式に招かれたときも、いつの間に洗礼を受けたのか、聖徒として教会で神妙な顔つきで誓いの言葉を述べていたのにも驚かされたが、彼にはこうしてときどき驚かされることがある。
学生時代、ポン友であったり、一緒に悪行の数々をなしてきた同期から見てもそれはそれは意外な変貌に映るのである。
お孫さんの誕生でご夫人が長い間留守をしていても、自分の飯くらいちゃんと作れるというのだから、かつての悪友からすれば到底及ばぬ高みに到達したと感服するしかないのである。