交通量

連休の街の静寂や蚯蚓鳴く

今日は朝から雨で畑は終日休み。

まだまだやることが残っているのだが、この雨でほうれん草など順調に発芽してくれればいいのだが。
秋口以降比較的雨が多くてありがたいのだが、そのせいか畝には蚯蚓が目立つようになった。
一昨日など鍬を入れるたびに蚯蚓が千切れてのたうち回るのがやたら多かった。
夜ともなると耳鳴りのような音がし〜んと聞こえてくるようで、まるで彼らの恨みを聞いているような気持ちになる。
時折車が通る音以外、静かな秋の夜が続く。三連休で交通量が減っているのかも知れない。
ただ救急車だけは煩くてかなわない。丘の上に巨大な老人施設がある関係もあるのだろうか。

品が悪い

二杯目の椀をつきだすうなぎ飯

うなぎがなくてもたれだけでうまい飯が食える。

それがお気に入りのうなぎ屋。
相伝のたれで長男以外は引き継げない。したがって支店も出さないという頑固なうなぎ屋である。
土用の丑の日は休業で、うなぎを地元の海に放流して供養するというのも今の世の中で変わっている。
コロナ以来出かけてないし、本当に久しぶりのうなぎかば焼きとたれのセットが届いた。
ふだんはまずご飯をお替りしない家人もこの日ばかりは二杯目に挑戦。残ったたった一切れの尻尾でも、残ったたれを茶碗にたらせば軽くいっぱいはいける。下品と笑わば笑えである。旨さには勝てない。

重宝

勢ひの鈍り秋茄子味まさる

毎日毎日秋茄子が食卓にのぼる。

なるほどたしかに秋茄子はうまいのを実感する。
夏場は暑さと水が足りてないのか花も少ないのだが、暑さのピークを過ぎる盆あたりから再び成長カーブにのってたくさんの実をつけるようになった。これが同じ株から採れたのかとおどろくくらい味がまるで違うのである。
枝葉の成長が一段落すると、その味に何とも言えない旨味、深みがのってきて、これでは夏の茄子はたいして収穫できなくても秋に頑張ればいいとさえ思えてくる。
まだしばらく30度の日が続きそうだし、体を冷やす効果があるという夏野菜は重宝する。

余念

しななだるものみな高し野分あと

当地は思った以上に台風の影響が少なかった。

九州を中心とした西日本に長くとどまっている間に勢力がそがれたと考えてよかろう。その分、九州など西日本方面に死者が出るなど大きな爪痕を残す結果となったようである。
まる二日家でおとなしくしていたわけだが、結局雨が降ったのは昨夜すっかり寝込んでいる間だけのこと。覚悟していたわりには風もたいした被害が出ることなく、しかも今朝の涼しさときたらこの暑かった二ヶ月の秋をいっきに取り戻した感さえある。
畑では二メートルを越すまで成長したオクラが傾いている。風でゆさぶられて根本がぐらつくのでロープで支えを作った。まだしばらく収穫が見込めるからであるが、まわりでは秋冬野菜を着々と植え付けるのに余念がないようである。

一興

彼岸花二二が四とふえにけり

最初は一輪だったが、やがて倍々ゲームで増えていった。

一週間ほど前、畔の曼殊沙華が咲きだしたなと思ったら、その後ゆっくりと株を増やしていった。
この二日台風のため確認はできてないが、おそらくもっとその数が増えているのだろうと推測している。
彼岸花とはよく言ったもので、ちゃんとその時期に合わせて咲き出すのだ。
今日は敬老の日で三連休の最後だとか。あいにくの台風で予定していた行事がキャンセルされた例も多かろう。
その敬老の日にどこへも行かず老人だけでZOOM句会を囲んだというのもまた一興である。
ところで、今日は久しぶりにwindowsパソコンでこの稿を書いている。たまたま現在のバージョンが間もなくサポート失効になると聞いて、台風でこもっているときがチャンスだとwin10にアップしてみた。クラシカルデスクトップスタイルに戻せば違和感なく何とか使えそうである。

持て余す

颱風の数字にかくも一憂し

おぞましい数字が並ぶ。

気圧、雨量も、風速も、気象庁は「過去に経験がないほど危険な」とまでいうほどの猛台風であることを警告している。
ただ、歩みが遅いのかどうか当地への深刻な影響はまだ感じられない、というか台風が接近していることすら現実感はない。
ただ、重い空にもかかわらず気温は高い、体感では34、5度くらいありそうである。
台風対策は昨日のうちに終わっているし、台風で今日はやることもなく暇を持て余している。

人の星

あれこれの雑多くくりて颱風待つ

数字を聞くととてつもなく恐ろしい颱風のようである。

進路の東になりそうな当地は、南からの風をもろに受けて庭のあれこれ放置しているものがひどいことになりそうで対策をした。飛んでも問題ないものばかりだが、飛ばされたら迷惑をかけたり、何かを痛めることになるのでやることだけはしておこうと。
育苗中の苗を畑に移しネットなどで保護するとともに、まだ畑の支柱にしがみついているものをはがしたり補強したり。
やるだけのことはやったので、それでも防げなかったらそれはそれで仕方がない。
雨はともかく風対策は毎年やっているようで、しかも年々厳しくなってくるようである。五十年後百年後はたして人が棲める星でいられるのだろうか。