アレルギー

ゑのころの肩に凭れてきたりけり

市民菜園のルールというかマナーというか。

守りたいものがいくつかある。
その一つが雑草を生やさないということ。少なくとも隣地にはみ出るように雑草をはびこらさないことである。
雑草を敵にしない農法というものに取り組んでいるので、これは自らへの戒めともなっている。要するに管理された雑草の状態を維持することである。必要以上に丈を伸ばさない、周囲に迷惑となるような種をつける前に刈る。また雑草の迷惑をかけないように、畝は境界より最低20センチ後退して作り緩衝地帯を確保など工夫しているが。
で、お隣だが年に二三回草刈に来ているようだが、その間は草ボウボウ。今ごろは狗尾草がしっかり実をつけて首をたれていて、境を通るには払いのけ払いのけいやくすぐったいこと。最近は腕が草に触れるとそこが痒くなるというアレルギーも出て、草刈とはアレルギーとの戦いであると言っていい。

ご出座

七つの子鳴つてかはほり天下かな

六時の合図の放送があって、まもなくうす暗くなってきた。

かわって蝙蝠が空に乱舞する。
蝙蝠は夏の季語だが、実質的に夏同然の今。早く暮れればそれだけ早いご出勤になる。
虫も多いようだから食うものには困りますまい。

子猫

配達の新聞熱き残暑かな

新聞やら、郵便物やら、取り出すものがみな熱い。

夏はまだまだ終わらんと言っている。
八月に蒔いたキャベツがことごとく失敗したので、その理由を調べるとどうやら気温のようである。
同じ地中海野菜のブロッコリーなどは比較的暑くても発芽するが、キャベツは冷涼な空気が入ってこないと無理なようである。
今年中の収穫をあきらめ、日中の半分しか日が当たらないような場所を選んで春採りのキャベツを今日蒔いた。
六時の有線放送があって帰ろうとしたら、ここのところよく見かける子猫がきていた。おそらく生後二か月くらい。畑周りには生きものが蛙をはじめいっぱいいるのでそれらで食いつないでいるのかも知れない。我が家で保護するわけにいかないのでただ無事をみとどけるしかできないが、誰かが拾ってくれないかしらん。

解放

おだやかに鳴き暮れてゆく里の鵙

夕暮れまでの一時間ほどが勝負の野良仕事。

日中は暑くてとても出かける気にはならない。今日も畝一本整えるために汗を流したが、まだ本格的な恋の季節には早いのか鵙がのんびりと鳴いていて、いかにも野良日和という風情にひたることができた。
日が信貴山に落ちてあたりが影に覆われはじめるとやっと暑さから解放される。
九月も半ばにさしかかろうというのにである。

指標

護法鉢灯りそめたる秋夕焼

久しぶりに夕焼けがきれいだった。

六時を過ぎるころにはすでに日は信貴山の影になり、一気に夜が忍び込んでくる。
そのわずかな間に、薄暗くなった空をバックに雲が金色にかがやく時間があらわれた。
すでに鴉たちは塒に向かった後であり、私も鍬を置いて帰る時間である。九月のこの時期は苗の植え付け、種まきとやることはいっぱいある。
流れる汗を拭いて夕焼けをみているといつの間にか信貴山の頂上、護法鉢の灯りが瞬きはじめた。みるみる明るさを増してゆく。遠くから見れば、海に向かって標となる灯台のように盆地の指標的な存在でもある。

鎌倉街道

十六夜や大河ドラマの佳境なる

昇りはじめだろうか、黄色がかっている。

今日は35度を超す猛暑日で、その余波をとどめてとても澄んだ空気とは言えないようだ。
昨日は見逃したので外へ出てみたが、蒸し暑さにすぐに引っ込んでしまった。
NHK「鎌倉殿の十三人」は後半に入ってバトルロワイヤルと化してきて、いよいよ細川討ちにさしかかってきた。
かつて住んでいた所は相模・武蔵の境にあり、幾筋もの鎌倉道が走っていた。ごく近くには新田義貞の鞍掛松伝説の場所もあり、まさに「いざ鎌倉」の往還道が珍しくないところである。
重忠は鎌倉へ謀略によって呼び出され、鎌倉街道途上の相鉄・鶴ヶ峰付近で待ち伏せされ討たれたとある。
次の山は時政追放、実朝暗殺、承久の乱、いよいよクライマックスである。

虫の知らせ

町の灯を雲に映して無月かな

町明かりのある雲。

雲が低い証しであろう。
夕方4時頃大粒の雨が突然降ってきて、一時間くらい降ったろうか。今日の月は無理かなとあきらめていたら、夕方7時頃突然隣町のものと思われる季節外れの打ち上げ花火が聞こえてきた。花火に照らされて雲が明るくなる。
今日は上がる方向が甍の正面、東南のためいつも以上の人が外へ出てきて楽しんでいる。
今日は仲秋の名月。雨の後涼しくなって虫の声が爽やかである。ただ今日家人に言われて気づいたのであるが右の耳がやや遠くなっているらしい。
庭を右に座ると庭の虫が判然としないのである。左を向ければはっきりと聞き分けられる。
虫の知らせと言うのではないが、虫のおかげで思わぬことを知ったというわけである。