若き移住者

不揃いにして痩せたるが稲架にあり

若い人が山村に永住を決めた。

初めての収穫だが、鹿やイノシシに蹂躙された晩稲の棚田はみるだに哀れ。残った稲を干す稲架もサイズがばらばらでみるからに素人のものと分かる。
ただ、本人たちはいたって楽観的で、来年はしっかり猪垣対策しなきゃと言いつつの収穫作業を楽しんでいるようだった。

伊賀富士

秋草を尋ねる道の宿遠し

快晴の一日。

名張の市街、遠くには伊賀富士、青山高原が望める山里の吟行である。見晴らしがいいからと案内されて登る径は山神の社に続く径。細くて急傾斜の径は初めてみる秋草でいっぱい。ひとつひとつ確かめては登ったりしていると、どうしても歩みが遅くなる。
グループの人たちにも置いていかれそうなくらい遅れてしまった。

職場対抗の

運動会上司のいまだ健脚なる

かつて企業の運動会というのがあった。

各職場対抗で徒競走、リレー、綱引き、買い物競争、などの毎度定番の競技に加え、大体が家族運動会でもあるので子供さんたちを飽きさせないように模擬店やらフワフワなどの遊戯施設や、子供用種目も用意して参加者には全員に景品、賞品が行き渡るなど工夫もしてみたり。

模擬店で買ってきたおでんなどをつまみに朝から宴会模様の運動会だが、老若男女各層の代表からなるチームによるリレーなどで意外な人がいまだに足衰えずということがあったりして驚かしたことも懐かしい。

この職場運動会の実行責任者として準備に半年以上前から取り組んだ経験があるが、運動会用具一式を貸し出す業者もあって経費はかかるがずいぶん助かったものだ。ただ、当時は今と違って細かな気象情報など得られない。だから、会場の近くに前夜から泊まり込んで空模様を何度も確かめたことも今となっては懐かしい。

山田の中の

今風にファッション決める案山子かな

本格的な案山子というのは昨今お目にかかれない。

あるとすれば、それは村おこしの類いの案山子祭りだったり、単なるディスプレイにすぎなかったりする。
隔世の感があるのは、その姿形で、昔の案山子のイメージというのは童謡にあるような、いわゆる山田にあって一本足で顔は日本手拭いで頬っ被りし、目鼻口はへのへのもへじというのが典型であるのに対し、最近のは動物をかたどったものだったり、人間にしても実にリアルに作ってある。しかも形態が家族やグループであったりで、単にそこに立っているというのではなく、踊りとか何らかの動きが表現されていて服装もそれにあわせたものが着せられているなど実に多彩で、作った人たち自身が楽しみながら工夫を懲らしているのがよく見て取れることである。
なかには、人の着る新品のシャツとか着せてあったりするのにも驚かされる。

アキタコマチ

豊年の大地波打つ日和かな

羽後・横手盆地の秋は清々しい。

とくに北上から峠を越える道をたどって降りてゆけばゆくほどその感が強い。おそらくアキタコマチであろう穂波がどこまでも広がって、盆地が黄金一色に染まって光り輝くようだ。
今は高速道路が通じているのでじっくり楽しめないのが惜しい。9月末から10月初めにかけては是非一般道をすすめたい。すると今度は、国道に沿って果樹園,とくに林檎園がずっとつきあってくれる場所に出会うことができる。目がすっかり金色になっているところに、あの丸い玉が連なっているのを見ると、今度はその紅の深さに目が奪われてしまうのである。

横手盆地の秋は目の秋と言ってよい。

抜穂祭

神田の稲刈る鎌の鋭利なる

大神神社の抜穂祭をニュースで知った。

春の「播種祭」、夏の「御田植祭」に続く一連の行事の締めくくりとなる行事である。まずは神主が特別な鎌で三株刈り取ったあと、その葉をのぞいて穂だけを三方にのせて神に供える。
このあと行われる豊年講の人々によって刈られた稲は昔通りに稲架で天日に干される。これらの藁は新年の注連縄に使われるそうである。

南面す

病棟の窓辺の桜紅葉かな

病室の高さにちょうど大きな桜の木があって、それがむら紅葉になっている。

視線をさらに下に向ければ、足元に大和川、正面遥は葛城、二上山である。冷え込んだ盆地の空気は澄みきって、見通しがことの外良い。

点滴のパイプがまとわりついたままでベッドから外を見てても癒やされるシーンだ。