天武ゆかりの神社

露けしや象の小川の屋形橋

万葉に多く歌われた渓流・象の小川そばに桜木神社がある。

象の小川

大己貴命・少彦名命(つまり大国主)と天武天皇を祀った神社で、ごくせまい山あいに建てられているのでさして広くはない。
社名の由来は、天武が壬申の乱のとき大海人皇子として大津から逃れてきたとき討手から身を守るために、とっさに隠れたのがこの社にあった桜の木だったという伝説にちなむ。

桜木神社の屋形橋

屋形橋から桜木神社本殿へ

神社へのアプローチは象の小川を渡ることになるが、両岸に多くの木が覆うようにしているのでたいそう鬱蒼としていて、橋はいったん道路より数段低いところに降りて、渡ったらまた階段を登って境内にあがるようになっていて、屋形とよばれる屋根をかけた大変珍しい形をしている。
このあたりはしじゅう川霧がたちこめ、露にも濡れて湿っぽいうえ、杉など周りの木々から落ちる葉なども散り敷くので、それらから守られているかのようだ。
今年は何句か「露けし」の句を詠んでるが、この橋は文字通り露に濡れがちなのである。

万葉旧跡

紀ノ川となりゆく水の秋の暮

どうしても吉野宮滝離宮があったという跡を見たくて車を走らせた。

台風の後とあって吉野川はささ濁りで水量も多いようだった。
時間がなかったので今日は名所・宮滝だけを見て返ろうと思っていたが、両岸が山に囲まれたこんな狭い場所に家も並んで宮といっても跡形もないだろうに思うのだった。かつてはこの上流に「柴橋」と呼ばれる木の橋が架かっていたそうだが、今では正面に鉄橋ができているので対岸にわたると、象(きさ)山と三船山の間を流れて吉野川に注ぐ「象の小川」がある。この渓流は水も澄んでいかにも秋の水といった風情である。
その奥にそば畑があるよという看板があったので狭い道を上ってゆくと、桜木神社、そしていよいよ吉野山へ通じる東海自然歩道登り口で車は通行止めになっていた。結局、そば畑もみつからないまま引き返すことにした。
吉野川沿いの国道169号、吉野神宮あたりの川幅が随分広くなってきたあたりでは夕日を入れた川面がまぶしいほどで、河原の芒の穂がきらきらと光るのだった。

野分の忘れ物

かけあしの野分残せし日照雨かな

台風18号の奈良盆地は拍子抜けするものだった。

来るぞ来るぞというわりにちっとも雨は降らないし,風も吹かない。いったいどうなったんだと思いながら寝たわけだが、朝方5時頃強い北風の音で目が覚めた。雨の音はあまりしない。そのまま二度寝したら、7時にはもう風もしずまっているのは、いかにも雨の少ない奈良盆地らしい。
テレビをつけるとすでに浜松の近くに達していて、静岡や神奈川の方は雨も大変だと知る。

ただ、今回は台風一過の晴天どころか、霧雨のような日照雨(そばへ)、いわゆる狐の嫁入りが一日中続く、変な天気模様だ。

ここにもレッドリスト

ふじばかま叢としもなく名告り出で

この夏、雨が少なく気温も高かったせいだろうか。

白毫寺では九月の末になってようやく藤袴の蕾が膨らんできたが、その数が可哀想なくらい少ないと言う。もともと河原などで見られる植物なので、湿り気がほどほどあり、夜の気温も抑えられるような土地が適しているのだろう。
もはや自然に自生しているものが極端に減って準絶滅危惧種に指定されているうえ、異常気象などが続けばさらに危険にさらされることになる。

秋の七草に数えられていたのが、今では園芸店でくらいしか見られないというのは寂しい話である。

グレムリン

実の辛夷数を増したるギズモかと

春の花からは想像もできない醜さである。

辛夷の実

一つの大きさや形が名前のとおりで、写真のように外の皮が捲れてくる前はゴツゴツとした実が、この時期赤く熟してくるにしたがっていよいよその正体を現してきたようで、このあと一つ一つの実が白い糸を引いてぶら下がるそうである。
外皮を被っているときからそうだが、このようにどぎつい赤の実が剥き出しになってきて、これが枝という枝にいっぱいぶら下がっているのだから、まるで映画「グレムリン」のギズモから増殖した小怪獣のように思えてくる。

およそ辛夷の実とは絵にはなりそうもなく、歳時記にも掲載されてないのであるが、あえて詠んでみた。

縁日の鳥

あれがそれ御籤引くてふ山雀よ

野鳥が楽しめるシーズンになったと思う。

例によって馬見丘陵を歩いていると、小鳥たちの群れがいる。よく見ていると、おおかたはエナガらしいが、ときどき「ぎぃーぎぃー」と鳴くのがいるのでコゲラだろう。すると、雌雄だろうか、二羽だけが色鮮やかなのがいる。雀よりはいくぶん大きいだろうか。気になったので行方を追うと、やはり群れを双眼鏡で観察している人がいた。
雑談のなかでさっき色のきれいなのが居なかったかと問うと、「ああ、あれね、山雀だね」と名前を教えてくれた。

山雀と言えば、昔は縁日などでお神籤をひく芸をみせていたと聞くが、今となっては見る機会に恵まれなかったのが悔やまれる。

どんぐりの歌

どんぐりの袴ばかりが散りてゐし
団栗のはかま残してまろびけり
どんぐりの袴の池にとどかざる
団栗といえど袴の転がざる

櫟(くぬぎ)の実というのは丸い。

櫟の実とはかま

だから、「どんぐりころころ」坂を下るのは団栗の仲間のうちでも櫟なのである。昔から人間の生活のそばで育ち、食料や薪など広く活用されてきた。そんな親近感もあって団栗の歌が歌いつがれてきたんだろう。

写真は櫟の実とはかまあるいは帽子と呼ばれる「殻斗(かくと)」であるが、じつは櫟の木の下は王冠のような形をした殻斗ばかりで、実は一個も落ちていなかったのを丘の下から拾い集めて来たものである。
こんなに丸ければちょっとした斜面でもよく転がるわけだ、と妙に感心したのだった。

参考)うんちく