一足早い秋

山村の岩を堰とすプールかな
寒村の水場に遊ぶ子のなくて

吉野川源流・高見川のあたりに吟行した。

このあたりは東吉野村といって、かなり前から俳人・俳徒にとって聖地ともされる村である。村内のかしこに著名な俳人の句碑が建ち、多くの俳人が訪れる。そのなかでも、「天好園」という山の宿を知らぬものはもぐりだと言われるくらい有名な館で、ここで句会もよく開かれている。
属する結社でも昨年5月余花の頃にここで吟行句会が開かれ、ことしは万緑、というより晩夏の時期に訪れることになった。

山の奥で、清流は流れているし、蝉や虫の声、いろいろな草木もあるので四季折々に句材には尽きないものがありそうだ。

青芒活けて迎へる山の宿
青芒深山の客を迎へけり

かなり奥になるので大和盆地に比べ随分涼しい。昼頃には天気もずんずんよくなって青空が広がり流れる雲も高い。ここには一足早く秋がきているようだ。

ちと早い盂蘭盆会供養

二枚目の棚経僧の声もまた

今日は母の菩提寺から僧が出張ってこられる盂蘭盆会の供養日。

棚経とはお盆の時期に檀家を一軒一軒まわって仏壇の前などで経を読むことで、秋の季語である。
大変立派なお寺なので檀家も多いだろうし、うちは檀家とはいってもお寺から少し離れているので、毎年この地域をまとめて廻っておられるようである。

この棚経の僧は永平寺の要職についておられて不在の住職に代わっていつも来てくださる長男さんで、女どもは口を揃えて美男だという。法衣姿も絵になっているが、読経の声もよく通り実に涼やかである。熱注意報のさなかの日中に汗ひとつかかずにお出でになり、お帰りになるときも颯爽として車に乗りこんでいかれた。

口に広がる

辛きばかり当たる日の獅子唐辛子

今日は大丈夫かな?

最初の一口はおそるおそる噛んでみる。ああ、大丈夫だと思うと二つ目からはがぶりといただく。そのあとは大概は大丈夫なのだが、たまに一口噛んでたちまち辛さが口の中に広がろうものなら大騒ぎである。
それが、一度ではなく二度もあったりすると、もうダメである。どこそこの店ではもうシシトウは買わないといきまいたり、文句の一つも言ってやれとなる。
辛いのに当たるのはたいがいシーズンはじめではないだろうか。

唐辛子は秋の季題だそうである。あの赤い実の唐辛子なら確かに秋でも良いが、シシトウとなるとどうかなという気はする。一方、万願寺唐辛子は春だそうである。

難題を楽しむ

この浦に嫁してこのかた磯竈
おうさつと読ませる浦の磯かまど
磯かまど磯着に魔除縫ふてあり
磯竈ウェットスーツの時代でも
家族より世代どうしに磯竈
磯竈編むも翁に限られて

本日の例会(欠席だが)の兼題の一つが「磯竈(いそかまど)」。

主宰の言うとおり現地を踏んで詠むというのが正統で、実際に取材に出かける人もいて先輩方は真剣に取り組んでおられるようだ。
一方の私はというと、三重の出身とは言え、未だに志摩に残る風習だときいても知らないものは知らない。去年のあまちゃんブームで海女を取り上げる番組も多かったようで、志摩の海女の独特の魔除け、「セーマン」「ドーマン」の判じ物めいた縫い付けのことを知ったのもそういう番組であったような気がする。

手抜きではあるが想像して作るのも一興という感覚でいくつか詠んでみた。

追)それにしても「竈」という字。ワープロだから書けるが、紙にとなると画数が多くて枠には収まりそうにない。さらに書こうにもまずはよく見ないと書けないわけで虫眼鏡は必定となる。ところが、こういうときこそスマートフォンなら簡単に字が拡大できるのがすこぶる便利だなあと思う。

頭上にて

竹林のそよりともせず目白くる

散歩コースには開発からまぬがれた小さな森が点在している。

どの森も紅黄葉の時期を過ぎ、これからは鳥たちの声が楽しめるようになる。今日は姿は確認できなかったが、キリキリキリと鳴くメジロ特有の声を今年初めて聞いた。

やが毎日頭上で目白たちの声を聞きながら歩く日々がやってくる。

里の鳥

アンテナのぷるんと震へ鵙の消ゆ

久しぶりに鵙に出会えた。

だが、ちょっとよそ見をしたらもう姿はなかった。あとは、止まっていたアンテナがぶるぶると震えているのみである。

元興寺小塔院跡

からたちの実の涸ぶりて門鎖す

からたちの実の錆びしまま無縁仏

もと元興寺の伽藍跡地で残されている数少ないもののひとつである。

荒寺に哀れをさそう遊女の墓があるというので案内してもらった。話では、墓というよりはただの石塊ばかりであまりにかそけくて言葉もないという。
残念だったのは、どういうわけか今は私有地になっているとかで、中へ入れてもらえない。「史跡元興寺小塔院跡」という案内表示板があるのにである。
何だか割り切れない思いに立ち去りがたくいると、跡地に続く道には葉の多くが落とされてやや黄をおびた棘ばかりがめだつ枳殻の生け垣が続いているのが目にとまった。その棘に守られるように直径二センチほどの実が成っているのだが、もう萎びてひからびそうになっていた。