グルメな鹿

神鹿の召さぬ団栗あまた降り

鹿食はぬまま団栗のあまた落つ

奈良公園
久しぶりに「まほろば句会」に参加した。

夏に入院して以来、本来はふた月前に復帰すべきところずるずると休んでしまっていたので、ひとまずは休み癖にケリをつけた格好になる。
今日は師走のならまち風情などがテーマだったし、今のシーズンは朝の鹿寄せも行われているのでいつもよりは早めに出たが、初めて車で行ったのが大失敗。通勤の渋滞に巻き込まれて着いたときにはもう鹿寄せは終わっていた。この鹿よせでありつける旨いドングリの味を知っているせいかどうか、グルメな鹿たちは公園にいっぱい降っている団栗には手をつけようとはしないのがおかしかった。
奈良公園茶粥のおふるまい
鹿よせには遅れたが、ちゃっかりとお振る舞いの茶粥だけはしっかりいただいて来た。奈良漬けをおかづにずるずると茶粥をすすったあとは奈良町へ。

ご来迎?

照紅葉茜と映ゆる阿弥陀堂

浄瑠璃寺阿弥陀堂の回廊

浄瑠璃寺阿弥陀堂裏の回廊が朱く染まっている。

一本の真っ赤な紅葉がお堂の裏手の点景となって、それがほの暗い回廊や壁を朱く照り返しているのだ。実相院の床紅葉ならぬ浄瑠璃寺の回廊紅葉だが、まるでご来迎の暁を思わせる雰囲気なのだ。

まちまちに

黄落や高度成長知る身にも

信貴山麓の町の紅葉は美しい。

その麓をぐるりと取り巻くように、高度成長期の頃完成したであろう住宅地が大和川を見下ろすように段をなしていて、街路樹も立派な楓の類だのが大きく成長している。どういうわけか、街路樹の黄葉の進み具合は一律でなくて、まだ青いものがあったり、はたまた黄色ではなく真っ赤になったものもあったりで、舗道の下を這っている根の状態によってこのような差があるのだと思われる。

庭仕舞

冬蟷螂斧振る意志のなかりけり

庭の冬備えをした。

霜にやられないように観葉植物などを取り込むのだが、これが歳とともに意外に大変になってきた。なにしろ直径30センチに相当する10号鉢などは土の重さだけでも相当な重量である。これを何個も庭から室内に持ち込むのである。さらに、子猫にいたずらされそうなものは2階に待避させなくてはならない。

2時間ほどかかっておおかた終わると、今度は庭の後片付けが待っている。蘭の日覆いのネットを外そうとしたら、そこにカマキリの卵が産みつけられていて、主と思われるカマキリがにょっきり顔を出してきた。おなかの辺りがずんぐり丸く太っているのでおそらく雌なんだろうが、寒さのせいかいかにも鈍重な動きで、指をさしだすともそもそと乗ってきた。
なんだかカマキリに悪いことをしたような気がして、そのまま茂みにそっと放してやった。

冬準備

田仕舞の煙りの高く平群谷

これを谷と呼んでいいのかどうか。

ただ、南アルプスと中央アルプスに囲まれた天竜川沿いの土地を「伊那谷」とか「伊那平」と呼んでいるように、平群の里も西は生駒山地、東は矢田丘陵にはさまれた土地で、北の生駒市に接するあたりの竜田川が深くえぐれてそこから大和川合流まで南下しているさまなどは伊那谷の天竜川を思わせ、この一帯をどうしても平群谷と呼びたくなってしまうのである。

ある小春日、この谷を南北に走る近鉄生駒線の車窓から平群谷に幾筋もの煙が立ちのぼるのが見えた。間近のはどうやら籾殻を燻して燻炭を作っているようである。冬準備に追われる里の一齣であった。

補)「田仕舞」を季語とする歳時記はあまりないようである。ただ、今年の田仕事の全てを終えたいま、冬を越し来春のために田をかたづけると言う作業の尊さを考えると、これが季語でないとする考えは理解できない。

自由律の句碑

行き暮れてすすきの原や碑の一基

思いたって曽爾村屏風岩の紅葉を見に行った。

ピークは過ぎた感があるが、それでも十分見応えある眺めである。
紅葉の屏風岩
1台通るのがやっとという急坂をあえぎながら車は上る。ついた先が「屏風岩公苑」。標高700メートルあまりだろうか、大変眺望がきく台地になっている。
しばらく散策すると、みたところ文学碑らしい古い石碑がある。文字は苔に覆われていたりして裏の昭和9年建立とだけしか読めない。文字数から推して句碑かと思われたが、果たして帰宅して調べてみると、自由律俳人の尾崎放哉、種田山頭火らと並ぶ大橋裸木(おおはしらぼく)の「日盛りに木の立ち木のかげ」が層雲同人会によって建立されたものだった。

大杉玉

今年酒終始破顔のアナウンサー

今日は大神神社の酒まつり。

新酒の醸造安全祈願するお祭りで、重さ250キロもあるという大杉玉が掛け替えられる。参列の酒造業者はそれぞれ小型の杉玉を持ち帰って、新酒ができた印しとしてこれを軒先につり下げる。

夕方ニュースで現地からレポートする女性アナもどうやら飲兵衛らしく、新酒の味、香りを細かくレポートしながら終始笑顔である。