いのち満つ

キャンバスに満る命の水澄めり

澤口先生の個展初日である。

同窓会関西支部仲間が先生を囲んで食事会をするという連絡をもらったので、迷わず仲間に入れてもらうことになった。
先生は2度の大病を克服されたあと今年も意欲的な作品の多くを出品され、ご健在なことがうかがいしれたわけですが、なにより印象的だったのは、泉からほとばしる水がキャンバスから今にもこぼれそうな「満ちる水」と題された絵に「命の躍動」そのものを感じたことであった。躍動、すなわちエネルギーであり生命力を象徴する。これはまさしく先生のみなぎって止まない「満ちる命」なのである。

季節便り

紅葉のテレビ中継箸止まる

ありがたいことに、この時期各地の紅葉の模様が放送される。

我が家では行儀はよくはないが食卓でもテレビが見えるように設えてある。ときどきの各地の便りは朝食の時間帯に放送されるときが多い。季節の便りが流れると、家人に声をかけたり、テレビに見とれてしまって箸が止まったり。ニュースをたねに朝の話題が盛り上がると、その日はスタートからして気持ちいいものである。

これからは牡蠣とかズワイガニのニュースなんかも流れるんだろうな。

お気に入りの街路樹

公園の行く秋雨の見るばかり

雨の公園は誰もいなかった。

ただ、桜、欅などの紅葉、黄葉がピークを迎えようとしている光景を、クルマで通りかかった目は見逃さなかった。樹齢からして20,30年は過ぎていると思われる木々が広い公園に枝を広げられるだけ広げ、強烈な色の濃さの衣装をまとっていることを。
おそらく明日もまた臈長けた紅葉を見せてくれるだろうが、今日のそれとは別のものに変容しているに違いない。

この時期になると、その街の銀杏並木を楽しみにしているのだが、夏の伐採で裸同然にされてしまった銀杏は昨年の面影をすっかり無くしているのを見て悲しくなった。

手放せないもの

木の葉髪色褪せるともこの帽子

昔から帽子が好きだ。

最近はもっぱらキャップだが、第一子が生まれた頃の写真をみるとハンチングをかぶっている。その後いくつ帽子を買い換えたかはよく覚えてはいないが、気に入ったものがあればどこへ行くにも同じ帽子をかぶり続けたものだ。
最近は娘が折に触れプレゼントしてくれるので自分で買うことはまずなくなったが、今のBrooksBrothers社のロゴが入ったものは色といい形といい、幾分日焼けし色褪せてきてもかえって勲章のような気がしてたいそう気に入っている。同じキャップでも野球帽のような頭がやたら大きく見える茸のような形をしたものは趣味ではない。

先日、吟行旅行で同じ電車で同席した同窓生も皆帽子党。おたがいに帽子が必需品であることを笑うのであった。全員の集合写真もあるので確認してみたら、やはりみな帽子をかぶっていた。
追)一人だけは無帽でした。

今度またプレゼントしてもらうならお洒落なパナマ帽もいいなと思うこの頃である。

K君のこと

今はもう誰も拾はぬ榠樝かな

Masaru.K君のコメントで南アルプス市のことを思い出した。

カリンを段ボール箱一杯つめてクルマに積んで帰ったときのことだ。
あの日は旧芦安村の露天湯から紅葉のパノラマを楽しんだあと、帰途に通りかかった果樹園で、一面の葡萄やリンゴ畑のなかにぽつんと一本のカリンの木が目についたのでクルマを停めた。近くにたまたまオーナーの方がおられたので雑談していると、今はもう誰も採らないから好きなだけ持っていって良いという。
大変大きな古木で、かつては商業栽培していたのが今では採算がとれず放置していたのがたまたま残ったのだという。大きくて無骨な形をしているもの、小さくても完熟しているものなど、これらを入れた段ボール箱もまたいただいたものだった。

帰りの車中は何とも言えない良い香りに満ちあふれ、持ち帰ったカリンを蜂蜜漬けのジャム、果実酒にしていっぱい作ったことは言うまでもない。

ところで、Masaru君の苗字のイニシャルはK、かれのコメントから消息が伝わる伊勢原のK君、磯子のK君、板橋のK君、そして僕もKだ。偶然の一致?ともいえるがそうでもないとも言える。学校のクラス分けがアイウエオ順でたまたま同じクラスだったのである。また、それが縁で同じ男声合唱団に属すことになり4年間苦楽をともにした仲間なのである。
この「苦楽をともにする」ということがキーポイントで、それがなくては友情も芽生えないし育たないし、シェアしあうことでその後の人生を通しての長いつきあいが可能になる。どちらかと言えばライバルとしての関係のほうがまさる仕事仲間ならなおさらそうである。先日飲食をともにした、奈良検ソムリエを目指すK君もまた会社時代の戦友だと言える。
毎日のように拙ブログに励ましのコメントをくれるキヨノリ君も高校以来の仲間だ。
あれ?ソムリエのK君、キヨノリ君の苗字もまたK君であった。

14個だけの

すだれとはゆかぬとも吾がつるし柿

すだれとは言い難けれどつるし柿

数えてみると15個入っていた。

つるし柿セットの柿の数である。開けてみるとそのうち一個は熟しすぎて使えないので実際には14個である。この14個を一本のビニール紐に通して南側に吊してみた。
この時期甲州などを行けば軒先にずらっとつるし柿を並べている光景を見るが、これを俳句では「柿すだれ」と言うそうである。手慰み程度のつるし柿では到底すだれには及ばないが、それでも窓越しに十分季節感を味わえるのがいい。

つるし柿セット

とっきょりてふ大和のはれ展秋深し

斑鳩の産直市場で買い物ついでに県立民俗博物館まで足をのばしてみた。

博物館は大和郡山市矢田丘陵の裾の公園の一画にある。文字通りのんびりとした里の風景そのもののなかだ。
この秋は、大和言葉で「ハレ」を意味する「とっきょり(時折)」という特別展示が行われていた。冠婚葬祭や盆・正月、祭りなどの年中行事など、この地方で昔から行われてきた暮らしのリズムを紹介する企画だった。
なかには、こういう道具は昔見たよなとうなづく一コマもあり、心穏やかな気分で外へ出たら、鵙が大きな桜の上で鋭い声を発するのを耳にした。

家に帰ったら、さっそく御所産つるし柿セットの皮むきが待っていた。これも「時折」はいいものだが。