人の眼

見らるともままよ火灯す秋簾

夏が終わる頃にかけた簾を、10月も半ばになろうとするのにまだ外せないでいる。

真夏日のぶり返しが数日続いているせいでもあるが、あたたかいお日様の恩恵にすがる時期にはまだ少し早いのでしばらくはこのままでいることになるだろう。

ただ、真夏の時期はともかくこの時期になってまで夜に室内が丸見えになるというのも困りものだ。カーテンを閉めるという手もあるが、それなら窓を開けておく意味はないし、爺婆のあられもない姿を恥と感じる「感性」もはなはだ希薄になってしまったゆえ、やっぱりしばらく放置を決め込むことにしている。

粋なネクタイ

その胸のその縞にして四十雀

そろそろ野鳥が里に降りてくる時期なんだろうか。

番と思われる四十雀二羽が隣の空き地にやってきてさかんに「ツピィーツピィー」と鳴き交わしている。やがて一羽が虫らしいものをゲットしたらしく側の電線に乗り移って賞味している。雄雌ともに、首から腹にかけてネクタイを締めているように黒い帯が見えるのが四十雀の特徴だが、虫を食べていたのはそのネクタイ模様が太かったので雄なんだろう。

そういえば、大和川にも鴨の仲間がやってくるころだ。散歩するにもこの季節にはこの季節の楽しみ方がある。これからの半年を彩ってくれるものたちに感謝。

四十雀は留鳥で、本によれば子育ての時期をもって「夏」とするものもあるが、ここでは「秋」としておきたい。

嫁に食わすな

七宝の肌照りかへす秋の茄子

秋茄子の肌がまるで蝋のようにつやつやしている。

棚田のなかに秋の日をうけた紺色の茄子が光っている。とても植物とは思えないあまりにも硬質な肌なので、七宝焼きの無機質なそれを思い起こさされる。写真に撮ろうとしたが、畑の中に踏み入らなければ無理なので遠くから眺めるしかなかった。

棚田に?

棚田には不釣り合いなるコンバイン

明日香の棚田の話に戻って。

ここも後継車難の解決策として「オーナー制度」を採り入れているようだった。各田にはオーナー名が書かれた札が立ててあったり、いかにもそれと分かるファミリーが手入れに精を出していたりしている。

おやと思ったのが出番を待つばかりの大きなコンバインが運び込まれていたこと。棚田のイメージからは遠いうえ、こんな大きなものをせまい棚田のなかでどうやって動かすのか頭をかしげるばかりであった。

「コンバイン」を季語としていいのかどうか、よく分からぬが「刈り入れ+脱穀」器械だから秋ではないかと思うのだが。麦などにも使うなら秋ばかりとは限らないが。

山襞

秋冷や青垣いよよ藍深め

ある句会での作が我ながらひどかった。

ちょっと見方をかえて推敲してみた。
年に何回かほど、朝起きたとき、はっとするほど盆地を取り囲む山々がくっきり見えるときがある。今日はやけに冷えたなあというような日に見られることが多いのかも知れない。今年も最初の秋寒の朝、山々がいつもに増して黒く感じるほど色を深め、稜線などの重なりまでもはっきり見えるのだった。とくに大峯の山々は遠近感をともなってよく見えるのだった。

のどかな風景

田の神の案山子を借りて降臨す

今日は久しぶりに暑い日でしたが、午後から思い立って明日香へ行ってきました。

稲淵の棚田風景が狙いです。深く切れ込んだ明日香川の激しい瀬音を聞きながら刈り入れを待つばかりの棚田の農道にはいると、おりしも案山子コンテストの応募作品が展示されていて各作品を楽しみながらそぞろ歩きです。コンテストの今年のテーマは「田んぼの生き物」で、カエルやら河童、水の使いの巳さま、雨乞いの巫女、猪を諭す田の神さま、などなどどれも苦心のあとがしのばれて楽しかったです。
おびただしいほど咲いていたとみえ畦のかしこに花殻をつけたままの彼岸花の群落が見られました。9月の中旬頃に来ていればさぞかし見事な光景だったろうと想像されます。また、逆光に映えて稲穂や芒が光り、赤とんぼが群舞しているのも魅力的でした。

帰ろうとすると百舌がキチキチ鳴きながら飛んできて頭上の電線に止まり、長い尻尾を得意そうに上下しています。のどかな風景に接して時間を使いすぎたので、帰りに寄ろうと思っていた「飛鳥資料館」の入場締切時間をすっかり過ぎてしまいました。
日を改めてまた出直しです。

寒暖差

山門にかかる楓の先染し

標高400メートルだと、紅葉も地上よりはちょっと早いのかも知れない。

信貴山・朝護孫子寺本堂まえの門に楓がかかっているのだが、その枝先だけが色づきはじめていた。
今年は順調に朝晩が冷えて昼間との寒暖差が大きいので、平地でもいい紅葉が楽しめそうだ。