ひよどりのお宿

塒入る鵯の竹林にぎはしき

信貴山に源を発する川の谷は深い。

短い距離を一気に斜面を駆けて大和川にそそぐため、両岸が削られたのだろう。
その深い谷の両岸がまた孟宗の竹林でおおわれており、谷の様子をうかがうことも難しい。
鶯の逍遥する谷でもあるのだが、鳥たちにとってはいい風除けとなっているとともに天敵から姿を隠すにも格好の場であるらしい。
信貴山に早い日が沈むとあたりは急に肌寒くなり昼間の暖かさはどこかへいくとともに、夕闇が一気に迫ってくる。
家路を急いでいると、竹林から雀の群のさざめきのようなものが聞こえてくるが、近づいてみるとどうやら鵯の群らしい。こんなところにも塒がるのだなあと、雀のお宿ならぬ鵯のお宿を発見するのだった。

もったいない

そのひとつ鳥の食み痕柿花火

見事な枝振りに柿が満載である。

陽のよくあたる斜面には見上げるような大きな柿の木があった。
比較的暖かい十月だったせいか樹上での熟し具合も穏やかなようで、道には一つとて落ちたものがない。鳥もまだつつく様子もなく一つ一つの肌も艶々している。こんな見事な柿もだれも採るひとがいなければもったいないような気さえする。
しばらく過ぎて振り返ると、夕方に近い日に照らされてそこだけ浮き上がるようにも見えた。

毒の実

ビニールハウス朽ちなんとして烏瓜

耕作放棄地やら朽ちたビニールハウスやら。

周辺を歩けばそんな光景がすぐに見つかる。
朽ちたハウスには葛がはいまわり、今はそれも枯れようとしてあの真っ赤な烏瓜の実が目を射る。
写メに撮ろうにもあまりの荒廃に手が止まってしまう。
代わりに、陽のよく当たる竹林に珍しい葡萄状の青い実を見つけたのでアップしてみよう。

青つづら藤

この実を食べると最悪死に至る猛毒をもっているそうだ。粉を吹いていかにも甘そうだが、鳥も口をつけようとしないのかな。

椿井城

三成にあまる左近の山粧ふ

生涯がはっきりしない武将である。

主を求めていろいろな武将に仕えたが、関ヶ原を最後に消息が絶えた。鉄砲傷で死んだという話しもあれば、生き延びて静岡あるいは京都で隠れ住んだという話もある。
数々の武功に三成がおのれの知行の三分の一以上を与えて迎えたというから、戦国武将の間に名がとどろいていたのであろう。
「三成に過ぎたるものの二つあり。島の左近と佐和山の城」。
家康暗殺をすすめたが三成がこれを拒否し、関ヶ原緒戦では東方に手痛い打撃を与えたという逸話が残っており、歴史ファンにも人気がありそうだ。
筒井順慶に仕えた頃の拠点だと思われるが、矢田丘陵の南端に椿井城があった。西端の平群谷には平群川(正式には竜田川と呼ばれる)が流れ大和川に合流し、東側は大和盆地ににらみをきかす格好の位置にある。弾正の信貴山上を牽制する意味でも戦略的な価値が高かったであろう。
在五の業平の竜田越えルートともなっている法隆寺につづく丘陵南端は今雑木紅葉におおわれて見事に彩られている。

生き残り作戦

草虱痛くもあり痒くもあり

センダン草かタウコギか。

いわゆる「くっつき虫」が今最盛期を迎えている。
まるでハリセンボンのように丸く全方位にヘアピンのような針を突きだしている。そっと毬を撫でるとくすぐったい感じもあるし、指の腹につんつんする感覚もある。
これが知らず知らずにシャツやズボンに触れると待ってましたと飛びついて運んでもらう。巧妙な生き残り作戦である。
そうはさせじと、毬のような針軍団を指でつまんで散らせてやった。しかしキリがないほど道路端に群れていて、犬などを散歩させるとまんまとその作戦に引っかかってしまいそうである。

冬近し

羽二重の嬰のこぶしや冬隣
シャツのボタン首までかける冬隣

朝晩の気温差が大きい日が続く。

昼間は二十度くらいとなるのでまだまだ秋だと思うが、朝晩の冷え込みはもう冬がそこまで来ていると思われる。
暑い、暑いと言っていた夏だが、気がつけばいつの間にか立冬の七日は目の前に来ている。
長袖のシャツのボタンも首までかけなければ肌寒く感じるこのごろである。

天日

スコップに割れて悲しき落花生

落花生を掘った。

株が広がっていて思わぬところにも茎が伸びているようだ。
スコップで注意深く株ごと持ち上げたつもりでも、その思わぬところの実が真っ二つに割けてしまったのも出てくる。
が、しかし、おおむね豊作でしかも大粒が多く満足の出来である。
茹でたものを試食したら味も悪くない。
さいわい好天が続くので何日か天日に干せば保存もきくだろう。