竜田なる街の町の木紅葉して
街路樹がいっせいに色づいてきた。
なかでも早いのが花水木だが、楓の仲間も急速に秋色を深めてきた。
住宅の庭には柿がたわわに実り、その葉も黄色くなりつつある。
庭のブルーベリーも今年は色づくのが早いようにも思えるし、いよいよ晩秋の趣をおびてきたようである。
冬の準備を急がねばならないと思うこのごろである。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
竜田なる街の町の木紅葉して
街路樹がいっせいに色づいてきた。
なかでも早いのが花水木だが、楓の仲間も急速に秋色を深めてきた。
住宅の庭には柿がたわわに実り、その葉も黄色くなりつつある。
庭のブルーベリーも今年は色づくのが早いようにも思えるし、いよいよ晩秋の趣をおびてきたようである。
冬の準備を急がねばならないと思うこのごろである。
稲塚の影を濃くして群雀
くっきりと稲架の影を落とす秋日和。
巡らせた表裏が赤と銀のテープがわずかの風にも揺れてキラキラと輝く。
賑やかにも雀たちが群れては、人の気配に去って行く。
美しい日本の秋の光景である。
稲架を懸けて一週間以上はたつだろうか。この先しばらくは楽しめそうである。
伸びのびて空に絡まる莢隠元
植物繊維が多いらしい。
一日でも空けば大変な数の隠元の収穫になる。
毎日せっせと食べているが、意外に飽きないものである。
今は背伸びしないと届かないところに生っているので間もなく終了だが行けるところまでいくことになりそうである。
隠元の後は玉ねぎと、猫の額の菜園の畝には休む暇がない。
冷まじや液晶の文字みな8に
机上の時計がおかしくなった。
一度落下させてしまってから時間表示の部分の液晶が欠けたが、個人的に使用する分には困らないのでそのまま使っていた。
ところが、今日どこかでカチカチと異音がするので周りを見渡してみると、その時計から聞こえてくるようなのだ。
しかもいままでだましだまし使ってきた文字盤はと言うと、一部の欠損を除いてみな算用数字の「8」を指しているではないか。透かしてみても叩いてみても何の変化もない。リセットボタンというのがあるのでこれを押して見るも何の変化もない。
どうやら完全にいかれてしまったらしい。
日時や曜日もでるし、気温、湿度もでるのでなにかと重宝していたので、動かないとなると机の上が何となくわびしいものだ。
毎日が日曜日的な暮らしのなかではデジタルのように一分一秒を刻む正確な時計は不要だが、かと言って今日は何日だとか、何曜日だとか振り返りたいときもあるのでその術を失ってぽっかり穴があいたような気分である。
葉の落ちて零余子小さきものばかり
大きくても小指の爪くらい。
誰も採ろうとしない零余子が、葉を落として蔓ばかりとなった枝にしがみついている。
ていねいに採れば二人分の零余子飯にはなりそうだが、今どきそんな細かいことをやる人がいないのであろう。芋を採るのが目的だからその実は見向きもされない。こんな状態がしばらく続いている。
やがてこの実が落ちれば再来年ごろには新しい実を落とすかも知れない。毎年毎年そんな繰り返しが続けられているのである。
柿の木の虫も湧かざる裏の年
去年思い切って強剪定した柿の木。
太くて立派な枝が空高く伸びているが、蕾のついた結果枝もいさぎよく切ったため実がほとんどついてない。
そのせいか、虫も寄りつかず、おまけに葉っぱはそのまま柿の葉寿司に使えそうな健康そうなものばかり。
さて今度はどの枝を残そうか。
秋桜ハッチ開いて車椅子
室内はやや寒だが外は明るくて温かい。
終日空高くいかにも秋日和である。
通りのデイケアサービスセンターのアプローチにはコスモスが群れて、少しの風にも揺れる重たそうな花をいっぱいつけている。
いかにもの好天にコスモスというのはよく似合う。
今日は心穏やかな秋の一日をもらった。