慎ましい

風なくば誰か知らまし銀木犀

十月の半ばになっても香りが届かない。

だから、今年は咲かないのかと思っていたのだが、今日急に甘い香りが漂ってきた。
経験的に木犀と言えば九月末頃というイメージがあるので、十月も二十日近くに咲くというのはやはり今年の九月の異常な暑さがかかわっているのだろうか。
それにしても銀木犀のこの控え目な香り。つねの花よりはもちろん甘いのだが、金木犀に比べればほどほどの甘さと言おうか、嫌みのない、癖のない香りが好ましい。
もしも風が運ばなければ気がつかないほど、慎ましいのである。

七割の壁

惚茄子の尻は多産や種を採る

長さ30センチ近い。

ずしりと持ち重りのする尻はみごとで重さは通常の五倍以上はあろうか。
樹の上で約二ヶ月生らせて熟成させると茄子の特徴のあの紫紺が褪せ、尻が金色に変われば種の採りごろとなる。
なぜ種採りにこだわるかと言えば、その畑に適したDNAが種に受け継がれ育てやすくなると言われているからである。茄子などは春のまだ寒い頃に苗を育てるのが普通なので直播きすることはないが、5月ごろ直播きすれば発芽も育ちもよくなると言われている。げんに今年夏に採った人参をそのまま蒔いたら100%近く見事な発芽だった。人参の発芽率は七割と言われ、へたすれば全く発芽しないこともあって、発芽さえすればもうできたも同じというくらい発芽がむずかしい作物である。自家採取した種の力は侮れない。
今年も無事に育ったカボチャ、オクラ、ピーマン、シシトウの種が採れた。
畑は冬野菜の時期となった。

入荷待ち

掛稲の緑うつろふ日和かな

稲架三日目。

早くも色褪せて茎も葉も籾も同じような色になってきた。三日続きの晴天で順調に乾し上がっているようだ。
苅りとった田はまだ序の口。短い日を逃さじとコンバイン、集荷軽トラが公道をせわしく行き来している。
豊の秋の光景はいつ見ても心和むものがある。
そして、格安のもみ殻くん炭を予約している農協からは、間もなく入荷の連絡が入るはずである。

好天

入相のあと一枚と稲を刈る

ここらでは二三日前から稲刈りが始まった。

なかにはまるまる稲架に掛けて乾している田もあっていまどき珍しいが、無農薬で育てているところらしい。
今日は久しぶりの好天とあってコンバインもフル稼働のようで、夕暮れが近いというのにもう一枚やるということらしい。
六時近くになってもう暮れるという時間にもまだ動かしている。
コンバインで刈るので稲車というのはなくて、集荷用器具をのせた軽トラが待ち受けている。暗くなっても一枚刈り終えるまで頑張ると決めたのだろう。

未熟

枝豆の殻堆く生返事

ちょっと早かったようである。

丹波黒豆の枝豆の旬は10月である。
緑の豆にうっすら紫がかったころが最高にうまい。
手で触れてみて十分膨らんだと思ったのだが、食べてみると味も香りも乗っていなかった。そう言えば豆の色もまだ青くあと10日くらい早かったようである。
ともあれ、一回きりの量だったので夕食時にたちまち鉢が空になった。

回転

柿を剥くなまくらナイフつかひもて

切れ味が悪いとこうまで手こずるものか。

柿を切るか手を切るか。
リンゴもそうだが皮を剥くというのはくるくる回転するリズムが大切で、これが欠けると丸くは剥けないものである。またリンゴとちがうのは、一皮剥いた柿というのはぬるぬると滑りやすくスムーズに回転するのに一苦労する。
何とか剥き終えたがいびつな形となると味の方までも自信なくなるのである。

果報

剣先で割いて真二つ藷の腹

試し掘りをしてみた。

植えたのが6月の中旬だからちょうど目安の120日、四か月くらいたった計算になる。
思いの外でかくなりすぎていたので、試し掘りが本堀りになってしまった。一株につき三個平均。数は少ないものの一つ一つがでかいのでよしとしよう。
根が広く張っていたようで少し離れたところにスコップを入れたが、真っ二つに割ってしまったのがいくつか出来てしまった。割れてもそこそこの大きさなのでこれもよしとする。
今日の収穫は紅吾妻という種類で、関西では鳴門金時に当たるもの。紅吾妻のほうが甘くてホクホク感がよりあるように思える。食べ方としては天麩羅にして抜群の味になる。
殘りは紅はるかという種類で柔らかめ。こちらはおろしたのが遅かったのであとひと月くらい先。
サツマイモは肥料も要らず、植えたあとは四か月ほったらかし。果報は寝て待てのずぼらには大変重宝な作物である。