颱風の数字にかくも一憂し
おぞましい数字が並ぶ。
気圧、雨量も、風速も、気象庁は「過去に経験がないほど危険な」とまでいうほどの猛台風であることを警告している。
ただ、歩みが遅いのかどうか当地への深刻な影響はまだ感じられない、というか台風が接近していることすら現実感はない。
ただ、重い空にもかかわらず気温は高い、体感では34、5度くらいありそうである。
台風対策は昨日のうちに終わっているし、台風で今日はやることもなく暇を持て余している。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
颱風の数字にかくも一憂し
おぞましい数字が並ぶ。
気圧、雨量も、風速も、気象庁は「過去に経験がないほど危険な」とまでいうほどの猛台風であることを警告している。
ただ、歩みが遅いのかどうか当地への深刻な影響はまだ感じられない、というか台風が接近していることすら現実感はない。
ただ、重い空にもかかわらず気温は高い、体感では34、5度くらいありそうである。
台風対策は昨日のうちに終わっているし、台風で今日はやることもなく暇を持て余している。
あれこれの雑多くくりて颱風待つ
数字を聞くととてつもなく恐ろしい颱風のようである。
進路の東になりそうな当地は、南からの風をもろに受けて庭のあれこれ放置しているものがひどいことになりそうで対策をした。飛んでも問題ないものばかりだが、飛ばされたら迷惑をかけたり、何かを痛めることになるのでやることだけはしておこうと。
育苗中の苗を畑に移しネットなどで保護するとともに、まだ畑の支柱にしがみついているものをはがしたり補強したり。
やるだけのことはやったので、それでも防げなかったらそれはそれで仕方がない。
雨はともかく風対策は毎年やっているようで、しかも年々厳しくなってくるようである。五十年後百年後はたして人が棲める星でいられるのだろうか。
ゑのころの肩に凭れてきたりけり
市民菜園のルールというかマナーというか。
守りたいものがいくつかある。
その一つが雑草を生やさないということ。少なくとも隣地にはみ出るように雑草をはびこらさないことである。
雑草を敵にしない農法というものに取り組んでいるので、これは自らへの戒めともなっている。要するに管理された雑草の状態を維持することである。必要以上に丈を伸ばさない、周囲に迷惑となるような種をつける前に刈る。また雑草の迷惑をかけないように、畝は境界より最低20センチ後退して作り緩衝地帯を確保など工夫しているが。
で、お隣だが年に二三回草刈に来ているようだが、その間は草ボウボウ。今ごろは狗尾草がしっかり実をつけて首をたれていて、境を通るには払いのけ払いのけいやくすぐったいこと。最近は腕が草に触れるとそこが痒くなるというアレルギーも出て、草刈とはアレルギーとの戦いであると言っていい。
配達の新聞熱き残暑かな
新聞やら、郵便物やら、取り出すものがみな熱い。
夏はまだまだ終わらんと言っている。
八月に蒔いたキャベツがことごとく失敗したので、その理由を調べるとどうやら気温のようである。
同じ地中海野菜のブロッコリーなどは比較的暑くても発芽するが、キャベツは冷涼な空気が入ってこないと無理なようである。
今年中の収穫をあきらめ、日中の半分しか日が当たらないような場所を選んで春採りのキャベツを今日蒔いた。
六時の有線放送があって帰ろうとしたら、ここのところよく見かける子猫がきていた。おそらく生後二か月くらい。畑周りには生きものが蛙をはじめいっぱいいるのでそれらで食いつないでいるのかも知れない。我が家で保護するわけにいかないのでただ無事をみとどけるしかできないが、誰かが拾ってくれないかしらん。
おだやかに鳴き暮れてゆく里の鵙
夕暮れまでの一時間ほどが勝負の野良仕事。
日中は暑くてとても出かける気にはならない。今日も畝一本整えるために汗を流したが、まだ本格的な恋の季節には早いのか鵙がのんびりと鳴いていて、いかにも野良日和という風情にひたることができた。
日が信貴山に落ちてあたりが影に覆われはじめるとやっと暑さから解放される。
九月も半ばにさしかかろうというのにである。
護法鉢灯りそめたる秋夕焼
久しぶりに夕焼けがきれいだった。
六時を過ぎるころにはすでに日は信貴山の影になり、一気に夜が忍び込んでくる。
そのわずかな間に、薄暗くなった空をバックに雲が金色にかがやく時間があらわれた。
すでに鴉たちは塒に向かった後であり、私も鍬を置いて帰る時間である。九月のこの時期は苗の植え付け、種まきとやることはいっぱいある。
流れる汗を拭いて夕焼けをみているといつの間にか信貴山の頂上、護法鉢の灯りが瞬きはじめた。みるみる明るさを増してゆく。遠くから見れば、海に向かって標となる灯台のように盆地の指標的な存在でもある。
十六夜や大河ドラマの佳境なる
昇りはじめだろうか、黄色がかっている。
今日は35度を超す猛暑日で、その余波をとどめてとても澄んだ空気とは言えないようだ。
昨日は見逃したので外へ出てみたが、蒸し暑さにすぐに引っ込んでしまった。
NHK「鎌倉殿の十三人」は後半に入ってバトルロワイヤルと化してきて、いよいよ細川討ちにさしかかってきた。
かつて住んでいた所は相模・武蔵の境にあり、幾筋もの鎌倉道が走っていた。ごく近くには新田義貞の鞍掛松伝説の場所もあり、まさに「いざ鎌倉」の往還道が珍しくないところである。
重忠は鎌倉へ謀略によって呼び出され、鎌倉街道途上の相鉄・鶴ヶ峰付近で待ち伏せされ討たれたとある。
次の山は時政追放、実朝暗殺、承久の乱、いよいよクライマックスである。