パートカラー

玉章たまずさや藪にくぐもる水の音

秋のものもあれば春のものもある。

秋の赤のままに混じって春のナズナの花、はこべがもう咲いている。
今日はちょっと足を伸ばし、自宅裏の斜面に広がる葡萄畑を縫って信貴山雄岳へのハイキングコースのとっかかりを探すプチ旅。
蛍がとぶという信貴川にそって尾根へ出、そこから雄岳へ出られると菜園オーナーから聞いたので途中までいってみようと思った。
葡萄畑は思ったより傾斜があって広い。収穫後の剪定はすでに終わっていて、今は来年に備えての作業のようである。
信貴川は短い距離を一気に大和川に下るので、深い谷をうがち流れも早い。足もとからは落ちてゆく水の音が聞こえるのだが、篠竹の藪にはばまれて見えない。それら冬に備えて葉を落としたり枯れかかっていくなかに、真っ赤な玉章(烏瓜の別名)がからんでいる。灰色がかったまわりのなかで、まるでそこだけ赤い色がついたパートカラーのような不思議な感覚だ。
もう少し地図を調べて何年ぶりかで御鉢堂がある雄岳まで行ってみようと思う。今日はその小手調べだが、腰の方は思ったよりいいようでうまくいくかもしれないと思った。

好々爺

せきれいの仲良きに畝譲りけり

今年最後の畝を仕上げていると甲高い声がした。

こちらには構いなく起こしたばかりの畝をつつきはじめたので、しばらく彼らのために離れてやった。
すぐに発つかと思ったが、草の種でも転がっているのかなかなか離れない。
10分ほど少し離れて観察していたが、こんなに身近に長い間いたのは初めてだ。
よほど無害の好々爺に見えたのであろうか。

小六月

鳩五羽の束の間落穂ついばみし

いっぱい落ちているからと言って長居はしないようだ。

掛稲がその場で脱穀されて藁くずが積み重なるようになった田に、今日鳩が降り立ってしきりに啄んでいる。どうやらそのなかに落ち穂がいっぱい残されているのだろう。
昨日今日と小春日がやわらかく日が当たる時間は心地いいほどだが、まだまだいい天気はつづきそうである。小六月とは言い得て妙である。平和な光景に心和んだが、明日もまた落ち穂めざして鳩がやってくるかもしれない。

夫唱婦随

をみな指す柿へ伸びゆく高鋏

高齢化すすむ住宅街。

経過年数もかなりと思われる住宅に大きな柿の木が育っている。
ご高齢となってもう採られないのかなと毎日見ていたが、今日八十路に届くかというご夫婦が柿採りをされている。
ご主人が物置の上に乗り、奥さんの采配の枝の実を高鋏を使ってとってゆく。
数は多くないが一つ一つが立派な実でお二人で楽しむには十分なほどのようである。
ご夫婦揃って腰を伸ばしてはまた屈み、健康でおられる。すばらしき老いのありようを見せてもらって心ぬくもる一日である。

虎のご加護

城落ちて山永らふる秋思かな

一将功成りて万骨枯るというが、そのまた将もいつかは朽ちる。

聖徳太子に信ずべき貴い山と言わしめた信貴山は今も古刹として多くの信心を集めているが、歴史上のあるときは戦国武将の山城として難攻不落を誇っていた。時代の異端児も信長の攻勢にはたえられず爆死を遂げたという話が残っており、その名を惜しんで麓の山城址には立派な弾正の供養塚もある。地元の人に死後も愛された武将とも言えるが、人同様に城もまた虚しく、いまでは森に埋もれてしまって麓からあおぐ山頂にはその形跡すらうかがうことができない。
虎を守護神とする戦の山は今も1400年の法灯を灯しているが。
虎と言えば、CS第一線タイガースは負けたようだ。

JAへ行かなくては

籾殻を焼く影遠き秋の暮

煙が真っ直ぐに昇ってゆく。

籾殻をいぶす煙のようだ。
住宅地に隣接しているので風向きには注意しているらしいが、今日の午前はほぼ無風。50メートルほど立ちのぼってはわずかに折れて消えてゆく。
そう言えば、農協支所へ行って籾殻や籾殻燻炭などをもらってこなくてはならない時期である。

食指

割石榴太き唇もて吸はん

ジョウビタキの顔を出す庭。

目立って大きな石榴の実がなっていたが、とうとう見事に割れて透明な真っ赤な実がはじけてる。さしてうまいものとは思わないが、これほど見事に割れていれば吸いつきたくなる。ただ可愛い小ぶりの口では難しいかもしれない。それほど大きな実なのである。
人間の食指がそそられるのだから、きっとこれを好物にする鳥もいるにちがいない。さしずめヒヨドリだろうか。そう言えば今年はまだヒヨの声を聞かない。