自己責任、自助

日米欧揃ひ踏みなる夜業かな

夜業、言葉としてはもう死んでるかもしれないが、実態は依然として遺っている。

働き方改革とか言われて働くものにとっていい方に向かうかと思いきや、その実プロフェッショナル制度、裁量労働制だの、労働強化されるだけの時代。新自由経済制度がきわまった時代、自己責任主義がばっこし、労働者保護などどこぞの風と競争至上主義、市場原理主義がまかり通るこの国の大半の人はもう疲れ切っている。
国の制度を根本から見直さなければさらに格差拡大し、もう耐えられないこの国の将来が見える。
古い季語からこんなことを考えてしまう時代になったとは。

狩り場

吾が鎌に威嚇の斧のいぼむしり

ここ数日勢いの衰えた草刈に忙しい。

畝も新しくして乾燥防止のため刈りとった草で覆っている。
今日は朝から雨で一休みだが、この雨で先日蒔いた大根が敷草の間から一斉に芽を出してきた。発芽しにくいと言われる人参は、やはりまだのようだがもうしばらく様子を見ようと思う。
草を刈っているとき鎌の先にいたカマキリがあわてて退散したようだが、こいつは春からずっと我が家の庭を餌場としていたのだろうか。はじめは1センチにも満たない子供だったが、見るたびに大きくなってきていよいよ子孫を残すのに忙しい季節となっているはずで、その狩り場を奪い取ってしまったのは気の毒にも思うが、いまごろは新天地で頑張っているにちがいない。

食習慣

居酒屋に時価となりたる秋刀魚かな

日本の松茸はもはや絶滅危惧種らしい。

それほど収穫が落ち込んでいて、「松茸狩り」などはもう死語に等しい。
菌を育てて松茸の人工栽培が研究されているようだが、実用化にはまだまだという。
庶民にとって秋の食べ物の代表である秋刀魚も惨憺たるありさまで、掲句のような事態になっているかもしれない。
たとえ時価でも仕入れらればいいのであるが、冷凍物だって底をついてしまいかねない今年の不漁である。
日本の食習慣も変わらざるを得ない時代になりつつある。

大阪葡萄

即売とありて人無く葡萄園

家の前の坂を上ってゆくとやがて葡萄園が広がる。

道路に面して小屋のようなものがあって即売との看板があるのだが、そこに人がいた試しはない。この葡萄のシーズンでもである。
山の広い斜面を利用した葡萄園だからどこかで作業しているのにちがいないのだが、よほど忙しくて人手をさけないのだろう。
この山の向こうは大阪柏原だがそこも葡萄の産地。大阪の葡萄は近年人気が上がっているらしく、海外にも知られてきたそうである。
温暖化で栽培は大変だろうが、品種改良などで頑張っているかもしれない。

折り返し点

草の絮震へる風の立ちにけり

今にもわが家の庭に飛んできそうな雑草の絮。

お隣の空き地に今日は草刈り機が入って、早くも夕方には香ばしい干し草の香りが漂っている。
草の勢いが鈍ってくる時期なので、今年はもう草は大して伸びてこないだろう。
今日は彼岸の中日。だんだん枯れの冬へ向かう折り返し点みたいなものであろう。

身を包むもの

峪穿つたぎりの水の澄みまさる

爽やかを通り越して寒いくらいの夜である。

乾いた空気がさらに空の青さを引き立てる。身も心も澄むような心地で周りのものを見れば、どれもまた爽やかに感じるし、いまにも沸騰しそうだった田の水もすずやかに見えてくるのが不思議である。
秋は心も、空気も、水も身を包むものすべてが澄んでくる。

雨雲レーダー

予報では下り気味とて大根蒔く

雨後の発芽に期待して大根の種を蒔いた。

直播きはお天気次第ということで雨を待つのみ。
うまい具合に今日は一日曇で気温も30度に達しない畑日和で、草取りやら畝の仕立てやら随分楽で助かる。おまけに、夕方雨雲が近づいているとの警報で、こりゃしめたと。
ただ、予想はちょっと外れて伊賀へと逸れたようなのは残念。