北上デルタの思い出

末枯れてデルタ広大無辺なる

北上の河口は広大だ。

川筋が何本も走るので、横断するにはいくつもの葦が茂るデルタを越えることとなり、いったん踏み入ると慣れてないと抜け出すのは大変である。しかも道路は必ずしも一本道ではなく、堤防を上り下りしながらの大きな迂回道を行くようなもので、行けども行けども左右に葦の原を見ることになる。
一体今時分がどこにいるのかさえ時々分からなり不安に襲われるが、今は幸いにナビという便利なものがあるので指示に従っていれば安心だ。それに、近くには高速道路も伸びているので、今では苦労してまでデルタ地帯の中に突っ込む必要もなくなっているだろう。

二十年以上も前に走ったのはもう夕暮れどきで恐怖心半分で走り抜けた懐かしい場所だが、ここら一帯は五年前の震災津波で大きな被害を受けた地区なので、今は随分景色も変わっているかもしれない。

先を急ぐ人たち

霧霽れて葛城古道神さびる

日が昇るとともに霧がどんどん晴れてゆく。

古道は古くは葛城氏の祖・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)を祀った高天彦神社をはじめ、鴨遺族ゆかりの高鴨神社、一言主神社、笛吹き神社などに祀られ、伝説に彩られた神さまの道である。
山麓の斜面の北から南へゆっくりと上り勾配になり、金剛山のふもとまで続く。最も高度を得た辺りの眺望は素晴らしく、何度来ても飽きないものがある。ただし、相当高いところなので思った以上に気温が低く感じる。このあたりが高天原とされる場所で、なるほど大和を十分に見渡すことができる。

古道マップを巡るハイカーは一カ所にとどまることを知らず、次から次へと目標をクリアしてゆく。吟行メンバーが句帖片手にじっと立ち止まっているのとは大違い。

十一月

粧ひを正し二上山雨上がる
粧ひて雄岳雌岳の相競ふ

雨に洗われた二上は鮮やかだった。

朝方雨がやんでみるみる雲がひいてゆくと、見事な紅葉、雑木紅葉である。
竹内峠から南はなかなか雲が晴れなかったが、昼頃ともなれば葛城まで見通せる天気となった。
気温も予想以上にあがり、ちょっと歩けば汗ばむほど。

今日から十一月。季節は間もなく冬に。
秋を惜しむ候。晩秋の季題探しは忙しい。

終わった

ハロウィンに何を感謝の仮装かな

「ハロウィン」は歳時記に記載されてない季語だそうである。

古くはケルト民族の収穫祭兼新年祭が、例によって商魂たくましい東方の民族によってまたたく間に全国的空騒ぎのイベントとなった。
祭というのは「祈り」または「感謝」を捧げるものとすれば、まさに東方の民における騒ぎは単なる「イベント」である。
いい年をした民が身をやつして繁華街に繰り出し馬鹿騒ぎをしている映像がテレビに流れると、昭和のおじさんは日本も終わったなと思うのである。

そう言えば、かつてfreezeというlisteningができなかったがために射殺された東方の若者がいた。
換骨奪胎が世界一得意な民であるが、これが生半可に消化してしまうと命取りになると言うことである。

乳根の神木

洞すらも朽ちかけ神の銀杏かな

一言さんの乳銀杏が黃葉してないかと訪ねた。

神職の話によると、例年11月下旬が見頃だという。
地理的にいうと葛城の山裾にあり、盆地より高い位置にあるので気温も低く一般より早く黃葉しそうだが、樹齢千年を超え、しかも倒木寸前まで樹勢が弱っているのが原因だと思われる。

盆地に降りれば、やはり銀杏は盛りまであと1週間くらいかと思える黃葉具合である。

抹殺された民

しゃがまねば見えぬ蜘蛛塚露けしや
露けしや土蜘蛛塚の苔むして

葛城といえば、鴨氏、葛城氏の故郷。

古墳時代にはおおいに権勢をふるったが、その後歴史から完全に抹殺された民の故郷だ。
それ以前から土着していた「土蜘蛛」と蔑視された土着の民は、まつろわぬ民として東進勢力に徹底的に弾圧されたようで、後世悪霊として再登場させられるなど散々な扱いである。
この土地にまつわり、さまざまな伝説にいろどられた一言主神も、役行者も時の権力から抑圧され、結局は追放の憂き目にあっている。
敗者の常とはいえここまで悲惨な歴史を背負わせられた地域、地方というのは他にはないのではなかろうか。

滅びしものへの哀惜の情は断ちがたく何度も足を運ぶのであるが、今日は図らずも一言さんで偶然土蜘蛛の塚を発見することができた。ただ、案内表示がなければまったくそれとは分からない。というのは、塚全体が低く這った槙の枝に覆われており、しゃがみ込んで覗かなければ塚石の存在さえ気づけないくらいなのだから。

立ちつくす

芒野の逢魔時の無言かな

芒が一番美しい頃。

とくに逆光に透かして眺める芒が素晴らしい。風に揺れて穂がきらきらと、目にも眩しいばかりである。
昨日高速道を走っていたら、中央分離帯や路肩の穂がどこまでも、風圧に揺れるからだろうかキラキラとしていつまでも見飽きなかった。
折しも除草工事中で片側通行となっている部分もあったが、できるならもう少し先延ばしにして長く楽しませてもらいたいのにと残念に思った。

遠くの山の端に日が沈もうとしているが、誰も立ち去ろうとはしない。一面の芒が逆光にきらめく時をいつまでも目に焼き付けたいからだ。