係留中

懸崖の枝ともづなに浮巣かな

大仏池から大講堂を望む

転害門をくぐって東大寺山門内に入る。

くぐると言っても、実際は門自体は通行不能なので脇を通るのだが、そのまま真っ直ぐ行けば正倉院敷地でその突き当たりを右に曲がると大仏池を経て東大寺大講堂の北西裏手に至る。

大仏池はかつては写真正面に見える大木の辺りまで広がっていたというが、水路から流れ込む土砂によってだんだん埋まってきて景観を損なっているので浚渫を検討しているという。
大仏池の浮巣
年々狭くなる一方の池ではあるが、鳰は変わらず巣を営んでいるようだ。写真をアップしてみてください。真ん中部分小さなシルエットですが、池に被さるように成長した大木の枝に舫うようにして巣を編んでいるのが見えると思います。鳰としてはなかなかうまく考えたもので、浮巣とは言うもののこれなら簡単に流されることはないだろう。

鹿の糞いよよ匂へる薄暑かな

奈良公園は日が昇り暑くなるとともに、鹿の糞の匂いが強くなってきた。まして雨後となればなおさらである。

交通量

街道の注連は衣を更たげに

転害門の注連
転害門は交通量の多い京街道に面している。

しかもT字路交差点にあって、そのせいかどうか5月ともなると写真をアップで見てもらえると分かるのだが、門にかけられた注連はやや煤がかっているようだ。更衣と言うよりは洗濯クリーニングしてほしいというところだろうか。

真っ直ぐ行けば

和菓子屋にラムネの幕も吊られをり

東包永町の甘味処

西包永町から転害門に向かっては一直線の道だ。

楼門を新緑つつむ額とせり

京街道に面した門の奥には正倉院の緑がのぞいている。まるで楼門を額にした一幅の絵のようだ。さらにその奥の山は若草山で、道のゆるい登り傾斜もあって見晴らしがずっと続く。その道の途中、いかにも涼しげなラムネの吊り幕を掲げる店があった。普段は和菓子を扱う店らしく「とうふ菓子」が自慢の店らしいけど、夏の今は「冷やしラムネ」と書かれた幕がでんと店先にぶら下がっている。かなり昔から営んでいるような店の風情なので、母の子供の頃この店でラムネを買ってもらったことがあったのかもしれないが、はたしてどうだったか。

追)
その後の調べでは、この店の名は「萬林堂」といい、春日大社に献上する神饌「春日二梅枝」という銘菓も作っているんだとか。

奈良女子大のメタセコイヤ

母の日や故地なる町を彷徨へり

昨日母の日は俳句会の奈良吟行であった。

そのスタート地点として、母の生まれ育った奈良・北町の一角・西包永町(にしかねながちょう)としたかったので今回は単独吟行だ。

母の日やメタセコイヤの奈良高女

女子大正門とメタセコイヤ
近鉄奈良駅を降りたら、まず奈良女子大に向かう。かつての奈良女子高等師範学校で、母はここに進学したかったのだが新しい義母と折り合いが悪く諦めざるを得なかったことを死ぬまで悔やんでいた。その正門前にしばらく佇み、20メートルほどはあろうかというメタセコイヤの新緑を仰ぎ見ながら、母の思いはいかばかりだったかに思いをはせるのだった。

大学正門をぬけるとそのまま北へ、佐保川辺りに出て右に目をやるとそこは転害門を真正面に見る道に出る。平城京一条に相当する道である。そのあたりが西包永町で、その名は母が亡くなる2月ほど前の夏に病床でメモに書いて渡してくれたのだった。涼しくなったら連れて行ってあげると約束していたのが、9月中旬から容態が悪化してそれも永遠に叶わないこととなってしまったのが心残りでならなかったのである。

母の日や妣の通ひける石の橋

佐保小学校に通学していたと聞いていたので、それには西包永町の西端あたりで佐保川を越える通学路だったはずで、それらしき石橋の竣工年月を確かめると昭和6年6月とあった。母は大正13年生まれなのでちょうど小学校1,2年生の頃のことで、以来母はこの法蓮橋を毎日渡って通学していたことになる。渡ってすぐ右には聖武天皇陵入り口があるためだろうか、橋の造りは今なおがっしりしとしていてその石橋の上に立って振り返ってみると、転害門のさらに向こうには新緑に覆われた若草山がはっきりと見えるのだった。
法蓮橋より転害門を

今日13日は母の月命日である。

頭上にも佳い声

声のよき鳥きて桜若葉かな

句会場の天好園には広い庭園のここかしこに句碑がある。

その歌碑の一つ一つを確かめるようにして庭内を散策しながら作句していくのだが、さきほどから高いところでいい声で鳴く鳥が気になって仕方がない。キビタキの声だろうか?それともコマドリ?若葉を透かして木の天辺を探してみるのだが、見つからない。
こんな時は野鳥に詳しい人がいるといいのだが、宿の使用人のかたも詳しくはないようであった。

今日は俳句会月例吟行が奈良で行われるので初めて参加しますので予約投稿になりました。奈良公園でうまく詠めればいいのですが。

県境の孤峰

思はざる山に酔ひ余花に酔ふとは

県境は九十九折なり余花にゑふ

国道166号線、伊勢街道を下る。

三重との県境に近くなり標高1248メートルの高見山が前方に見えてくると、バスの中は歓声に涌く。もちろん初めて高見山を見る私もインターネットである程度想像していたとはいえ、こうしてあらためて肉眼で見てみると周囲を睥睨するような、いわゆる孤峰の姿というのは本当に美しい。
バスはなおも右に左に曲がりして行くとますます孤峰が近くなるとともに、そのカーブを曲がるたびに今度は次から次へと咲き残った桜が目の前に現れてくるのだ。山に酔い桜に酔う。伊勢街道の今は誰をも魅了するに違いない。

人の営み

沢水の零るるところ著莪の花

乱れ咲き沢になだるる著莪の花

よく手入された杉林の裾一面が著莪の花で覆われている。

山から沁みだした水を受けた樋からはほとばしるように飛沫があがり山水が小流れに導かれてゆく。一方、ありあまった水は沢をうがち、その沢になだれ込むように著莪の花が乱れ咲いているかと思うとそのまま高見川へと咲き降りてゆく。

著莪はかなり古い時代の帰化植物だそうである。人工林である杉山に生えているということは、なによりここには古くから人の生活があったという証なのである。

著莪の咲くすなわち人の営める