元興寺

元興寺極楽院の萩若葉

萩若葉揺るるにまかす古刹かな

萩若葉揺るるに任せ元興寺

僧房を取り巻く萩の若葉かな

元興寺極楽院の萩若葉

今日は奈良公園でまほろぼ句会。

この時期の奈良公園と言えば鹿苑で子鹿が公開されており、運良くば誕生の瞬間にも立ち会えるんだけど、あえて元興寺で粘ってみた。

元興寺というのは飛鳥寺を移築して造られた大変古い歴史をもつ寺で、平安時代の前期までは南都七大寺のなかでは東大寺に次ぐナンバーツーの位置づけをされ大変隆盛を誇った寺である。その寺域はいまの「ならまち」をすっぽり包み込むほど広大なものだったが、興福寺などのように有力な貴族の後ろ盾をもたない元興寺はやがて衰退し、今ではかつての僧房・極楽坊など一部だけがかろうじて往時を偲ぶよすがとなってしまった。

国宝に指定されている本堂(写真)や禅堂(本堂の奥)の瓦は、飛鳥寺を建立する際百済から遣わされた瓦博士によってもたらされた技術で焼かれたものがそのまま再利用されており、いわば日本最初の瓦である。さらに極楽院は萩の寺ともいえ、いまはその若葉が建物の四周を取り巻くようにして風に揺れている。

賢い木

おのが空占めてたくまし花樗

あふち(楝、樗)とは栴檀の古名だという。

成長力もあるらしく、狭い場所でも他を押しのけて自分の空を確保できるくらいたくましい。
5月12日、万葉植物園の楝はようやく芽立ちしたばかりで、みっちりと咲く花は葉がもっと茂ってからのことなので想像するのみであるが、楓と競ってその頭上に枝先を伸ばしているさまを見ているとこの木は賢い木なんだろうなあと思うのだった。

ま幸くあらば

飯を盛ることなく椎の落葉かな

仮宿に盛飯なかりし椎若葉

万葉植物園ではところどころ草木が詠み込まれた歌碑が建っている。

大きな椎の下には有間皇子の歌碑があった。

家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る(有間皇子 万葉集 巻2-142)

高校の教科書にあった懐かしい歌である。謀反が発覚し熊野に行幸している斉明天皇のもとに送られる途中詠んだ歌だと、後になって知って深い感慨を覚えたものである。

この時期、椎や樫などが若葉を茂らせるようになると古い葉がしきりに落ちる。「椎若葉」も「椎落葉」もともに夏の季語であるが、かたや新しい命を、いっぽうは去りゆく命を詠む。歌碑の周囲一面の椎の落ち葉は、若い命を散らせた皇子と重なって見えてくるのだった。

休み処

若楓枝に吊りたるお品書

春日荷茶屋にて
万葉集植物園まえに春日荷茶屋(かすがにないぢゃや)があり、今の時期若葉の下で休憩するにはもってこいの場所にある。

参道を行く人の目にはいやでも止まるお品書。それが新緑の楓の太枝に吊されて枝葉の影までもが緑色に映えているのが面白い。

万葉植物園

植物園入るやたちまち青蛙

春日大社の万葉植物園は名残の藤だという。
万葉植物園の藤
料金を払い一歩入ってみると、賑やかな蛙の合唱が聞こえてくる。池や小流れなどに雨蛙がいっぱいいるようだ。あんな小さな体でよくもあんなにでかい声で鳴けるもんだと感心するが、目をこらすと交尾しているカップルもあり、どうやら雨蛙というのは雌の方が数倍体が大きいみたいだ。このように賑やかな雨蛙がいる一方で、じっとしている蟇蛙もいて植物園はただいま恋の季節でもあるんだろう。

発展途上

袋角先丸くして途上なる

冬に抜け落ちた鹿の角は、初夏になると新しく生え始めこれを袋角という。
鹿の袋角

袋角は成長中なので角質化した角とは違い、内部に血が通う皮膚で覆われているという。たしかに、近くで見るとカブトムシの甲羅のような茶褐色をしていて、表面全体にうっすらと産毛が生えている。当然発情期ではないので、雄どおしが角突き合わせることもなく傷一つないいかにも柔らかそうである。

幼子は子鹿に寄られ色をなし

親子一緒に楽しく鹿を見ていたのに、3歳くらいの子にいきなり子鹿が近づいてきて餌をねだるので顔が引きつってしまったようだ。