登り窯

窯跡を剥ぎて保存の山笑ふ

なんでも推古期の窯跡らしい。

それが住宅地の一画に移されて誰でも見ることができる。
この辺りにできた寺院の屋根を葺いた瓦を焼いたと伝わっている。当時は瓦屋根は寺院くらいしか葺かないものだった。
もしかしたら法隆寺の伽藍の瓦の一部もここで焼かれたかもと思うと想像がいろいろふくらんでくる。
高さ10メートルほどの登り窯で、屋根をつけ囲いで覆って保存に務めている。住宅地の開発のおりに発見されたというからまだ二十年は経ってない。聖徳太子ゆかりの信貴山下、我が家から百メートルも行かない場所にあったそうである。

三頭

もつれてはまたちりぢりに昼の蝶

今年は蝶が多く飛ぶ年かもしれない。

昨秋はどういうわけか蝶が少なくて作物の被害が目立たなくておおいに助かったものだ。
冬野菜が薹立ちの時期を迎えてすかさずやってくるところをみると、冒頭のように今年は蝶の当たり年の予感がただよう。
春先の蝶だから動きも俊敏で、三頭がやってきたと思ったらそのうち二頭がもつれ、すぐさまそれぞれに散っていった。いかにもコミュニケーションを取ってますよと言わんばかりである。

強者

大手ふる野は広したんぽぽ踏まず

気のせいか今年は蒲公英が少ない。

いつもなら冬の間も必ずどこかに咲いているものだが、振り返って見れば今年はあまりそういう記憶がない。
年中見られる蒲公英はその強さからおそらく外来種が主だとおもわれるが、さしもの強者も環境変化いちじるしい時代に戸惑っているのだろうか。
そういう少ない蒲公英に目がいくと、足が自然と避けるのであった。

鈍感脳

春嵐の闇にもよほす尿意かな

凄まじい風に雨が加わった音に深夜目覚めた。

3時半頃だったろうか。
起きてから家人に聞くと、雷も鳴っていたそうな。
すると、覚醒したのはほんの一瞬のことで再びすぐに寝入ってしまったということになる。
その短い間にバルコニーのものが飛ぶんじゃないかと不安がもたげたが、いや風向きは逆だから多分大丈夫だろうという判断をしていたのは覚えている。
人間というのは案外短時間の間にいろんな思考を巡らしているものらしい。つくづく適当に鈍感な脳でよかったと思う。
朝確かめてみるとバルコニーのものは無事だった。

虫たちの出番

欄干に菜花の風に吹かれけり

土手が黄一色となっている。

西洋芥子菜の類だと思うが、この時期は大和川土手の斜面がすっぽり黄色に染まるのである。
最近はとんと河原を散歩することはないが、この花の時期だけは降りて手に触れてみたくなる。
種採り用に残しておいた小蕪も黄色い花を咲かせていて、こちらはちんまりと可愛い花である。じっとみているとてんとう虫やらアブのような虫やら小さい虫たちが活発に動いているようである。

WBC

春暑し身はきさらぎのままなるに

体がまだ春になりきってないのにこの落差。

如月は旧暦二月。衣更着とも書いてさらに重ね着する月であるが、さすがに今日からは冬装束をいくらか春仕様に変えるべく軽いものになったが、季節はずっと先に進んでいるようである。
軽暖、薄暑という言葉が耳にこだまして、念のため歳時記を確かめたらたしかに夏に間違いなかった。
何かどこかが狂っていやしないか。
はや桜の蕾も動きかねない異常な暑さである。
十二年前の今日の東北は被災地に追い打ちをかけるような雪であった。短期間にこんな暑い日が三月にあるとは誰が予測できただろうか。
毎日のようにどこかで地震が起きており、異常気象に大災害が加わればこの国の基盤がいっきに崩れてしまいそうな怖さに戦くばかりである。
WBCフィーバーに毎夜浮かれているが、どこかで何かが進行している。

弱り目

つちふるやもつて生まれし蒙古斑

外出にマスクを使った。

花粉症、そして黄砂に備えるためだが、今日よりは明日の方がよく飛ぶという。
今年はまだいくらかましな花粉症だが、PM2.5混じりの黄砂はまさに弱り目に祟り目のようなものだ。
明日はできるだけ家の中で過ごした方がよさそうだ。