行儀

ガイドには行儀よろしく遠足子

法隆寺あたりはシーズン。

遠足、修学旅行入り乱れ、次々とバスが乗り込んでくる。
すこぶる行儀のいい学校もあれば、やりたい放題好き放題の学校もあって、生徒たちを眺めていると世の中の縮図のようだなと思ったりする。
平均的には、先生やガイドの話にはわりと耳を傾けているようで捨てたものじゃないと安心もできる。先生にとっては事故があってはいけないし、えらく気の張る行事だと思うが、生徒をガイドに委ねたときなどはどこか緊張がほぐれた様子なども垣間見できる。

ひるがえって、自分たちの頃はどうだったかはよく覚えてはいないが、記憶にあるのは弁当の中身だったり、行き帰りのバスのきれいなガイドさんだったりして、肝心の遠足先のことはまるで覚えていない。

山萌える

釣鐘を風に吹かせて甘野老

甘野老(あまどころ)が今年初めて咲いた。

釣鐘型の花でスズランに似ているが、それよりは細長い。
若い芽や根茎は山菜として食用になるとも言うが、あまり聞いたことがないし、実際に食べてみたことはない。
庭の一角に野草風のものをと植えたのが、何とか生き延びて花を咲かせてくれたようだ。
写真の背景にいるのが紫蘭で、すでに蕾が膨らみかけている。初夏の花なので、もう夏はそこまで来ていることが知れる。
そういえば、周りの山々はいっせいに萌えだして、もう若葉のシーズンと言ってもいい頃。いつもより休息に季節が進んでいるようだ。

用法を守りましょう

頓服の験にすがりて春灯

たまに、「頓服」として処方されることがある。

昔は、一包ずつ紙袋に包まれていたようなものが多かったように思う。
いわゆる、症状が出たときだけに服用する薬のことで、痛み止めであったり、解熱剤であったりする。
効用があるからといって、何錠も飲むものではなく、薬によっては一日何錠までと定められているものもある。
そんな、注意事項は薬手帳や、処方された袋などに記されているが、ちゃんと読んでる人はどれだけいるだろうか。

桜の井

桜蘂打たせるままの古井かな

花と葉が半分ずつくらいになった。

ビルなど高いところから見下ろすと、だんだんと花が褪せてきて下草の色に同化するようになっているのがよく分かる。
こうしていつの間にか花は葉になり夏となるのだが、その前にもうひと工程ある。落花がまだ終わらぬまま蘂が降り始めるのだ。木の下に停めておいた車など一晩で、桜湯のような色に染まる。雨が降ったときなど、張り付いたようになって蘂をつけたまま走っている車をよく見かける。
これから、山深いところなどへ行けば、思わぬ残花に出会って名残の感を深めることもあろうし、夏となって大方は葉桜となってもまだ咲いていれば余花を楽しむことができる。
北へ行くもよし、まだひと月ほどは楽しめるというわけだ。

混み合う

花の雨黄色い線の内までも

鉄道のアナウンス、結構お節介である。

典型的なのが、「雨の日は忘れ物が多くなっております。傘のお忘れのないようにご注意ください」。
おそらく、電車の忘れ物ナンバーワンは傘なんだろうが、昨今は使い捨ての傘など増えてさらに困ってる図が垣間見えるような木がする。
同じアナウンスでも、「電車が来ます。黄色い線の内側までお下がりください」などは、危険防止のうえでお節介とは言えないが、いちいちそんなことに気を配らなくて済むように、転落防止柵の設置こそ急いでもらいたいもの。
花の時期、人出も多くなっているところへ、雨とあってはホームは混み合う。そのホームをなお狭めるかに雨が吹き込んでくる。

晩春

翳し見の古代瓦に風光る

表からは見えない。

本堂の横手に回り、振り返って大屋根に目をやれば目に入る。
飛鳥時代の瓦だ。馬子が創建した、最初の瓦屋根寺院・飛鳥寺にあったものを平城京遷都に際しここに移したのが元興寺である。
何度も修築されていろいろな時代の瓦がのっているとのことだが、飛鳥時代のもの200枚ほどがいまでも使われていて、しかも個々に焼きムラが出ていてなんとも味わいがある。
萩寺としても知られていて、その芽も伸び出して、いよいよ晩春の趣が深い。

初夏の景

田の水にしきり散りゆく山桜

棚田に浮かぶ桜の景色は美しい。

三多気では、水面に映える桜を楽しんでもらおうと一部の田に水を張ってある。
二分三分咲きが多いなかで、なかには散りかけているものもあって、それが水田に浮かぶ花筏となっているものがあった。
流れゆくものではないので、正しくは花筏ではないのだが、水田に浮かぶ花片というのは珍しくてしばらく眺めた。
畦もいまどき見事に塗られて、そこをみるだけではもう初夏の絵になっている。