アワノメイガ

もろこしの花の十字の槍のごと

菜園などでは夏野菜が真っ盛り。

そのなかでも上手に育てたトウモロコシなどをみると、ほれぼれするほど雄花が立派に空にそびえている。それは、まるで十字槍を並べ立てたように雄々しく夏の畠にふさわしく思える。この穂が開くと細かい花粉がこぼれ落ちて雌花の髭に絡みつき、一本の髭につき一粒の実がなるのだという。
だから、この花粉がまんべんなく降りかかることが重要で、作り手としてはここが勝負時だが、相手はそれだけではなくアワノメイガという虫も大敵なのである。
この虫は雄花から侵入し、茎を通じて実の中に忍び込む名人で、雄花をいつまでも放置していたら虫の侵入を易々とゆるしてしまうことになる。人工で花粉を降り出したらさっさと切り落としてしまうのも対策になるが、反面実入りが悪くなったりしてその兼ね合いが難しい。

店先で並んでいるのは虫害がないものばかりだが、雄花の管理が大変なのでおそらく農薬を使って虫害を防いでいるのが実のところではないだろうか。

せめぎ合い

片陰のよるべあえかな亭午かな

じりじりと焼けつくような日差し。

5分と立っていられない昼間、入道雲も今夏一番のもくもくと。
車を止めて家人を待つ間陰を探そうにもハイヌーンとあっては当てにもできず、早々にビルの中に避難してしまった。
毎夕水やりしている苦瓜も南瓜の葉もげんなりしてまるで生気がなく、やはり西日本の暑さは折り紙付きだ。

夕方になってようやく日中の暑さがおさまるとまた元気を取り戻してきてほっとするが、ふと頭を上げるともう入道雲の姿はなく秋の鱗雲すら浮かんでいた。まだまだ夏に分があるとみえるが、やっぱり少しずつ秋とのせめぎ合いも始まっているのだと思える。

夕立来い

汗をかく五体のときに疎ましく

汗をかくのはもちろん大事なことだ。

そうと分かってはいても、べたつくような汗が顔や首、腕など全身にまとわりつくような日は心底気味が悪い。スポーツなどでかくさっぱりした汗とはちがい、ただじっとしているだけで滲み出てくる汗はとくに始末が悪い。
シャワーを浴びればすっきりするのだろうが、そうすればそうしたでまた汗にまみれる繰り返しになることが目に見えているので、どこにも逃げ場がないような気さえしてくる。
今日あたりから台風の影響で空気が重く湿っている。せめて夕立でも来てくれるのならいいのだが、黒い雲から一回パラパラときただけでもうそれっきりの一日だった。

近江の米どころ

色の濃き薄き混じれる青田原

近江の米どころを新幹線が突っ走る。

稲の背もずいぶん伸びて、早いものではもう出穂が見られるのだろうか。
持ち主が違ったり、あるいは意識的に銘柄や時期を変えて植えているのかどうか分からぬが、田んぼ一枚ごとに微妙に色が違うのが目についた。
静岡あたりでは特別このようなことはなかったので面白い現象だと思った。

空高く

橡の葉の傘よりにぃーにぃー降ってくる

橡の実がもうすっかり形をなしてきた。
橡の木
そして、あの大きな傘のように広げた葉っぱの上からニーニーゼミの声が途切れもなく聞こえてくる。見上げるような大きな橡の木のどこにいるのか、葉っぱに隠れてどうしても見つけられない。

馬見丘陵上空。すっかり秋の空だ。
今日は朝からからっとした天気。気温は30度を超えているが湿度が低く、秋の始まりのような気がした。空の雲もすっかり秋の雲のように高い。

38.8度

夏海のはての岬の暑気まとふ

昨日結婚式に出るため葉山に行った。

国道134号線の長者ヶ岬から南に向けて数キロの海岸線はいつ来ても「海に来たなあ」という思いを強くするが、この海岸通りといってもいいところに式場があった。
その四階建てのルーフデッキで誓いの儀式を行うのが売りで、しかも戒壇にみたてた背景は海となっているので、相模湾がまるで足元から広がるようによく見える。炎天の下で誓いの儀式をやるものだから熱中症予防で冷却剤を渡されての式であるが、海からは潮風がふきあがり、その風に乗るのか頭のうえを鳶が舞いうというなんとも珍しい趣向であった。

夏の暑気をはらんで水平線は見えないし、会場の右手は長者ヶ岬がさえぎってさらにその先は見えない。遠目がきかない典型的な夏の日だったが、披露宴が始まって間もなく、ふいと視界がひらけ左の三浦半島につながるような形で城ヶ島がみえる瞬間があったが、やがてまた見えなくなった。

夏霞ときに引き退き遠岬

新幹線で上っているとき、伊吹山が頭には夏雲を冠り、全体がまるで回りの暑気をすべて集めたように霞んでいたのが印象的だったが、下りの新幹線でこの日、東近江市で38.8度を記録したというニュース電光板を流れたときは「やはり」と思うのだった。

昂揚

昂ぶりて誘いあはせる夜振りかな

これから鰻を獲りに行くんだという。

それも、バッテリを使って一時気を失わせるという。無論禁止された漁法だ。そんな後ろめたさもあるのだろうか、男たちは出漁前から気分が昂ぶっている。

本来「夜振り」とは、灯した火に集まってくる魚を網などで採ることを言うのだが、カンテラをかざしつつ暗い川に向かって、あの思いバッテリをかつぎ、身の危険も冒しながら鰻をとることもひとつの夜振りとはいえまいか。

これも熊野にいたときの記憶から。

今日は横浜まで日帰りの結婚式。猫がいるのでなんとも慌ただしいが、予約投稿である。