数奇な

立退の決まりし垣の灸花

なんと可愛い花なんだろう。

ただ、その名を聞くだに目をそむけたくなるのが気の毒である。
「へくそかづら」。
枝や葉をさわると臭いからといって名付けられたそうだが、そういう性格だろうか、荒れ地に生いるイメージがあって俳徒からは数奇な目で見られる季題である。

平群町へ抜ける県道をよく使うのだが、大型は通行禁止の道路で両側には古い住宅地が迫っていて大変狭い。そのわりに交通量が多いので、随分長い時間をかけて拡幅される計画があるようで、ところどころ廃屋のまま、あるいは更地になったままで立ち退きを待つばかりの風情である。
そんな一区画の垣に白い花に紅い紅をさしたような灸花が垂れていたのであった。

慈雨のち虹

喜雨ならん農の生計にあらねども

昨日のような雨を「喜雨」というのだろう。

晩秋から春先にかけて盆地を移動する時雨を遠目にもよく見かけるのだが、夏の雨雲というのは低くて空全体が暗くなってくるので今どこが降っているのかは近くになってからでないと分からないことが多い。昨日の場合は、坂の先の駅の向こう側が烟っているので「こっち来い、こっち来い」と念じていると、やがて白い幕のようなものが段々近づいてきてそれがこちらの方へ向かってくるのだった。
1時間くらいは降ってくれた夕立であった。

連日の日照りに焼けそうな田や畠にとってひさしぶりの慈雨となったのは言うまでもないが、農業をやらない我らまでもが待ち焦がれていた雨、それも驟雨と言っていいくらいしっかり降ってくれたのである。
一部には降りすぎるくらいであった雨ではあるが、盆地を東から西へ向けて駆け抜けるように雨をもたらした雨雲も夕方にはあがり、夕方のニュースでは若草山に虹が立っている模様が映し出されていた。

一足早い秋

山村の岩を堰とすプールかな
寒村の水場に遊ぶ子のなくて

吉野川源流・高見川のあたりに吟行した。

このあたりは東吉野村といって、かなり前から俳人・俳徒にとって聖地ともされる村である。村内のかしこに著名な俳人の句碑が建ち、多くの俳人が訪れる。そのなかでも、「天好園」という山の宿を知らぬものはもぐりだと言われるくらい有名な館で、ここで句会もよく開かれている。
属する結社でも昨年5月余花の頃にここで吟行句会が開かれ、ことしは万緑、というより晩夏の時期に訪れることになった。

山の奥で、清流は流れているし、蝉や虫の声、いろいろな草木もあるので四季折々に句材には尽きないものがありそうだ。

青芒活けて迎へる山の宿
青芒深山の客を迎へけり

かなり奥になるので大和盆地に比べ随分涼しい。昼頃には天気もずんずんよくなって青空が広がり流れる雲も高い。ここには一足早く秋がきているようだ。

摘果のタイミング

青柿の多く落つるも枝になほ

柿というのは花もそうだが実もそうである。

何がって、よく落ちるのである。
今年はよく花がついたなあと思ってると、花が小さな実をつけながらどんどん落ちてゆく。また、それがなんとか残って実がどんどん大きくなっていっても、そのはしからどんどん落ちるのである。
だから、歳時記などをみても「柿の花=青柿=落ちる」というイメージの例句が多い。
掲句もそうで、もうこれ以上落ちないかと思っていても、木の下を見るといつの間にかまた落ちている。だから、柿は摘果すべき果物だと分かっていてもどのタイミングで摘果していいやら素人にはよく分からないものなのだ。

かくして、摘果しないでいると思ったより実が成ったりして、その分小さな実ばかりしか収穫できないというような事態を招いてしまうのである。また、それが翌年は花が咲かない、結果しないというような柿独特の隔年結果に陥りやすい。

今日は吟行句会で東吉野へ。予約投稿である。

ミニ公害

休日の草刈る音の煩わし

住宅地のあちこちはまだ更地のままである。

だからどの区画も年に2度ほどは草刈りが行われいて、たいていは不在地主なので委託業者が行うケースが多い。なかには土地区画整理事業の保留地として元地主の所有のままだったりした場合は、たいていが農家なので他人に任せず自ら行うこともあるようだ。
問題はあの煩いエンジン音である。業者さんというのは平日に行うから我慢するとして、兼業のせいかどうか農家地主の日曜の草刈りは迷惑千万なのである。
この時期、窓を開けることも多く埃が舞い込むことや、たいていは若いサラリーマン世帯なのでその安息を阻害していることや、なかには小さい子供さんの昼寝を妨げたりしてしまうことに思いが及ばないのだろうか。

沼ではなくて

養殖池廃れて永し蒲の生ゆ

金魚養殖も後継者不足に悩んでいるのだろうか。

ところどころ養殖池が空になっていて、わずか残った水に大きなおたまじゃくしがいっぱい泳いでいたりする光景なども見られる。さらに進むと、養殖池自体がもはや養殖池とは思えないほどただの沼地になって蒲が茂っていたりする。このまま放置すると周りの池まで浸食されそうで、荒廃がさらに進むのではないだろうかと人ごとながら心配してしまう。

大和郡山にとって金魚は江戸時代から綿々と守られてきた特産だけに、じり貧に追い込まれる前に何か手を打つべきではないかと思うのだが、そんな心配も杞憂に終わればいいけど。

大阪平野はむかし海だった

日暮しの鳴きそむ雨の昏さかな

今日はめずらしく終日の雨。

気温が上がらないのはありがたいが、湿度が高いのはかなわない。台風12号の余波の雨らしい。
明日もまだその影響があるらしいと聞いてさすがに気が重くなった。
そこで、句材探しに大阪府の「近つ飛鳥博物館」へ行くことにした。ちょうど今「大阪平野はむかし海だった」特別展が開かれていることもある。これによると、今の大阪平野はつい3千年前の縄文時代までは海だったそうだ。その後海水面が下がるとともに土砂の流入もあって淡水湖となり、ついには今の陸地へとわずか千年、2千年の間に大きく変化した。
難波宮はその大阪湾に突きだした半島の先端にあったらしいことを知った。多くの渡来人たちが湾の周囲に住み着き、漁をし、塩を作り、牧を育てたことも。やがて渡来人たちは二上を越え大和にも進出したことも。
大阪湾(茅渟の海)は当時最先端の文明が上陸した土地なのだ。

見学し終わって外へ出たら、雨はまだ降っていたが、古墳群の谷によく響くヒグラシの声があった。
今日の句はわりに気に入ってます。