緑陰や何につけても長話
梅雨を通り越して夏のような日が続く。
こんな日は大きな木の陰にはいって風を受けているとほっとするものだ。
奈良市内で垣間見たのだが絵に描いたようなそんな光景に出会った。今しがた子供を送り届けてきたと思われる母親ふたりが、幼稚園前の立派な藤棚の緑陰で立ち話に余念がないのだ。30分あとにも通りかかったが話はまだ続いていた。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
緑陰や何につけても長話
梅雨を通り越して夏のような日が続く。
こんな日は大きな木の陰にはいって風を受けているとほっとするものだ。
奈良市内で垣間見たのだが絵に描いたようなそんな光景に出会った。今しがた子供を送り届けてきたと思われる母親ふたりが、幼稚園前の立派な藤棚の緑陰で立ち話に余念がないのだ。30分あとにも通りかかったが話はまだ続いていた。
下野草やまとの古墳に咲きにけり
花しょうぶが満開だという馬見丘陵を訪ねた。
古墳群のある丘陵地帯を県が整備して立派な公園になっており、四季折々の花が咲くことで訪れるファンは多い。
下野の花は花しょうぶをめでたあと公園内を散策しているときに目に止まったものだ。万葉集に歌はないかと探したが、さすがに国の名を花の名とした歌は見つからなかった。そのかわりに、東歌で下野の国を歌った歌:
下野の三毳(みかも)の山の小楢のす まぐはし児ろは誰が笥(け)か持たむ 作者不詳 巻14-3424
歌の意は「下野の三毳山のコナラの木のようにかわいらしい娘は、だれのお椀を持つのかな(だれと結婚するのかな)」。
なんとも素朴な歌ですね。
菖蒲田の名札たしかめ巡りけり
菖蒲田の一雨ほしき滾りかな
柳生の花しょうぶ園とは比較にならない規模だが、馬見丘陵の花しょうぶも手入れがよくいきとどいている。
馬見丘陵公園一帯は4世紀末から5世紀にかけての古墳が集中しているエリアで、葛城氏など初期大和王権を支えた豪族たちの墓ではないかと思われるが詳しいことは依然謎のままである。いずれにしてもどれも相当な規模の古墳なので有力者の墓であることは間違いないだろう。
散策路もよく整備され近所の人たちのみならず、車でわざわざやってきてウオーキングをしている人も多い。四季折々の花も咲くので、NHKローカルニュースでもたびたび取り上げられ、それにつられてやって来る人も多い。小子もニュースで誘われたくちであった。
ただ、梅雨に入っても雨が降らないせいか田の水量もわずかで、田水は熱い日差しに泡を吹くほどたぎっている。紫陽花とおなじく花しょうぶもやはり雨が似合うのではないだろうか。
花しゃうぶさそふ柳生の写真展
商店街アーケードの柳生写真展を見ていた。
これは奈良市広報コーナーで、訪れる人に向かってときどきの耳より情報を発信しているようだ。
柳生といえば誰でも剣豪の里のイメージを思い浮かべるだろうが、実は今頃が満開の「柳生花しょうぶ園」があることでも知られている。昭和60年に開園されたというから30年近い歴史があり、今では460種約80万株あるそうで規模としても有数だ。
小学生の遠足定番「あやめ池遊園地」が10年ほど前に閉鎖されたこともあって、この辺りでは数少ないあやめの名所なんだろうな。
サンダルがふみいる老舗土産店
この時期欧米人観光客のほとんどがサンダル履きだ。
朝開店したばかりの土産店、しかもいかにも老舗然とした店で私なら少々構えて入るところだが、ノースリーブ、ショートパンツ、サンダル履きのカップルは何事もないように堂々と入ってゆく。
店の方でも慣れたもので何事も無いように受け入れているようだ。実際、これで店の品位が傷つくわけではないだろうし、何より、買いそうな客かそうでないかの見極めは商売柄お手のものであるはずで、そのへんの呼吸は十分心得ているようにもみえるのだが。
薄衣の自転車こぎゆく寺の町
奈良町の坂道をごく涼しげに自転車を漕いで行くひとがいる。
薄物の法衣を来た壮年の僧侶で、昼の法事にでも呼ばれているのだろうか。
炎天下をものともせず颯爽とさりゆく姿は、さすがに修行した人にちがいなく、火もまた涼しの境地なんだろうか。