土間を吹き抜ける風

床几台土間に列ねて夏座敷

庫裡の間に床几台おき夏座敷

小子坊とは僧房の一つで、大坊が僧侶が居住するのにたいし小子坊はその従者が居住していた。大寺院にみられる僧房形式だという。

元興寺・小子坊の土間

元興寺・小子坊の庫裡の土間には、夏座布団をのせた床几台が置かれ小休止できるようになっている。土間の南北が開け放たれているので心地よい風が吹きぬけるうえ、ここに腰掛けて庭の方を眺めると新緑の光が目にまぶしく、まるで夏座敷といった風情をかもしだす。

秋には数珠の実が

菩提樹の咲き初めしとて香りなく

元興寺入り口脇に菩提樹の花が咲き始めていた。

東門入り口脇の菩提樹の花

ただ咲きはじめたばかりとみえ、独特の甘い香りがしなかったのが残念だ。
菩提樹は雌雄同株で、葉の表面に突起様の赤い花がさくのが雄で、雌は細い葉の陰からぶら下がるようにして黄色い花をつける。アップした写真を撮ってなかったので分かりにくいかもしれないが。

大きな櫨の木の下で

元興寺・極楽院の受付

緑陰を独り占めする寺務所かな

山門にかかる緑陰大いなる

大緑陰南京櫨のみわざなる

元興寺・極楽院の受付寺務所は大樹の葉陰でいかにも涼やかである。

元興寺・極楽院の受付

この木は南京櫨と言うそうである。
調べると秋には見事な紅葉をみせ、そして白い実からはロウが採れる。秋にもう一回訪れてみたいと思う。

甘い香り

大寺は花木大角豆の香の満てり

木大角豆の花の南国かもしだし

禅堂の裏手にまわるとたちまち甘い香りに包まれる。

元興寺の木大角豆
木大角豆の花

木大角豆(きささげ)の花だ。
秋になると、ささげ豆のように2,30センチほどの長さのさやができその実を漢方剤として利用される木だ。ひとつひとつの花を見るといくつもの蘭の花がまとまって咲いているように見え、いかにも南方から来た木だということが分かる。

高いものでは10メートルくらいになるというから、いつか極楽院禅堂の屋根も超える高さまで育つかもしれない。

木大角豆は実をもって秋の季語だが、花の時期ということで夏のものとさせてもらった。

梅雨晴間

片蔭をなすすべもなく破築地

空梅雨で、しかも気温が真夏並とあれば植物にとって過酷な環境となる。

しなびかけた紫陽花

元興寺・極楽院前の築地塀沿いに咲いていた紫陽花は、気の毒なことに正午の強い日差しを真上からあびて萎びかかっていた。

浮図田

石仏に影さしかけて萩若葉

浮図田(ふとでん)なる石仏群や萩若葉

浮図田の萩

本堂の左手に向かって回ってゆくと、浮図(浮図とは石塔・石仏のこと)田とよばれる石仏群が境内の奥のほうにまで連なってあり、初秋には桔梗、萩、そして彼岸花に彩られるという。そして、この浮図田のある位置からは本堂や禅堂の行基葺きといわれる瓦屋根がよく見える。大きな木の陰に立つと心地よい風も感じることができるので、さまざまな時代の瓦を眺めながら思いははるか飛鳥の時代を逍遥するのだった。

元興寺

元興寺極楽院の萩若葉

萩若葉揺るるにまかす古刹かな

萩若葉揺るるに任せ元興寺

僧房を取り巻く萩の若葉かな

元興寺極楽院の萩若葉

今日は奈良公園でまほろぼ句会。

この時期の奈良公園と言えば鹿苑で子鹿が公開されており、運良くば誕生の瞬間にも立ち会えるんだけど、あえて元興寺で粘ってみた。

元興寺というのは飛鳥寺を移築して造られた大変古い歴史をもつ寺で、平安時代の前期までは南都七大寺のなかでは東大寺に次ぐナンバーツーの位置づけをされ大変隆盛を誇った寺である。その寺域はいまの「ならまち」をすっぽり包み込むほど広大なものだったが、興福寺などのように有力な貴族の後ろ盾をもたない元興寺はやがて衰退し、今ではかつての僧房・極楽坊など一部だけがかろうじて往時を偲ぶよすがとなってしまった。

国宝に指定されている本堂(写真)や禅堂(本堂の奥)の瓦は、飛鳥寺を建立する際百済から遣わされた瓦博士によってもたらされた技術で焼かれたものがそのまま再利用されており、いわば日本最初の瓦である。さらに極楽院は萩の寺ともいえ、いまはその若葉が建物の四周を取り巻くようにして風に揺れている。