大きな囲炉裏

天窓をいぶせるばかり榾の宿

雪の中ようやく宿に着いたら大きな囲炉裏が待っていた。

囲炉裏には大きな木の根がくすぶっている。古民家風に設えられた宿の天井は高く、炉の薄青い煙が天窓へ向けてのぼっている。まずは冷えきった体を炉端で温めていると、やがて歓迎の熱い珈琲が出されひと心地する。しばらくそうしてから宿帳に記入して部屋に案内された。

何年か前に訪れた雪深い温泉旅館である。部屋も湯も食事もすべて満足できる印象深い旅館である。

難題

山の井の竹樋きりだし年用意

年用意はいいが、春支度という季題は難しい。

毎年の決まり切った年迎えというのは幾らでも思いつくが、そうではない迎春準備と定義される「春支度」を詠むのは私には難題だ。正月をことのほか大切だという意識が、薄れてしまっているのが原因だろう。
今まで家庭や家事のことを家人に任せきりできたことを図らずも露呈しているとも言えよう。

今日締め切りの句会には何とか出句してはみたが、とても満足できるものではなく披露は差し控えておくことにする。

重要無形民俗文化財

菅笠の笑顔振りまきおん祭
一の鳥居すぎて底冷つのりくる
お渡りの仕丁焚火にゆるびけり
白足袋の隊士脇目もふりやらず
おん祭稚児よく的を射貫きけり
交名の風にちぎられおん祭
槍術の錬士気を吐きおん祭
楽人の松の下式底冷す
おん祭女児の中間槍を振り
白足袋の隊士かつげる野太刀かな
濃平汁児にふるまへる鳥居前
お渡りのまり始末もしおん祭

今年一番の冷え込みの日、「おん祭」のメインイベント「お渡り式」が行われた。

おん祭り・田楽座

少々天気が悪かろうが絶対見に行くと決めていたが、やはり延々3時間以上寒風吹きすさぶ沿道に立って見物するのは容易ではない。と言ってみたところで、行列に参加する人に比べれば現代の完璧な防寒衣装に守られておるわけで贅沢な話だ。いっぽうの行列の時代衣装というのは見た目にもつんつるてんのものがあったり、足袋に草鞋や草履では長時間歩いたり待たされたり、お稚児さんなど風邪をひきはしまいか、そんなことが気になってしまう。

「おん祭」は約900年前、ときの関白・藤原忠通が度重なる飢饉、疫病の災害から免れるよう若宮の霊験にすがるため祭礼を行ったことに始まり、大和国全体の人々が参加する盛大な行事で重要無形民俗文化財に指定されている。「お渡り式」というのは、こうした人々が若宮が遷られた「お旅所」とよばれる行宮に各種の芸能、技芸を披露するために行列することを言う。

なかには、世界的に有名な女流映画監督や、地元名士などが馬上の人となったりして観衆を楽しましている。もっとも感銘を受けたのは奈良航空自衛隊学校の生徒さんたちで、奴さんの衣装に身を包み毛槍を捧げる「数槍(かずやり)」という集団の行進が一糸乱れぬ見事さで、当たり前とはいえ立派だったことだ。行列が終わったあとも稚児による流鏑馬を警護するような形で、捧げ銃ならぬ捧げ槍の姿勢で微動もしないでいるのにも驚いた。

映画監督河瀬 直美さん
航空自衛隊隊士による野太刀

行列に参加する馬もよく調教されていて大勢の観衆にも落ち着いていた。いったいどこから拝借してくるのだろうか。愛嬌は、彼らが道路に落とす糞を最後尾で拾い歩く係がちゃんと仕事をしていること。

延々とつづく芸の披露を見物するうちに午後三時もすぎてくると冷え込みがきつい。日没前に帰るには潮時だとばかり会場をあとにした。

以上のように句材もいっぱいあったのでおいおいと整理していこうと思う。

木の葉隠れの術

凩の木っ葉も鳥も連れ去りぬ

最後の木枯らしだろうか。

ときに強い風が吹き、ざあーっと木の葉を散らす。思わず頭上をあおぐと、木の葉に紛れて鵯らしき鳥も一緒に飛んで、その行き先も葉っぱに隠れて定かではない。これぞ忍法・木の葉隠れの術にちがいない。

空鉢護法堂へ

護摩壇の灰ひとしきり大根焚
大一個小は二個入り大根焚
Tシャツで登り来る子に大根焚
捨箸を竈にくべて大根焚

信貴山大根炊会

信貴山の一番高い雄岳にある空鉢護法堂をめざした。

舞台がせりだした立派な本堂が有名で、その脇から参道があるらしいというのは知っていたが今まではせいぜいが本堂止まりで引き返していた。毎日日課のように信貴山を登っている人たちから空鉢まで登ってはじめて完結するのだと言われていたので、いい機会だと思ったのである。
というのも、この日千手院で大根焚会が行われているので吟行のつもりでお詣りしたからである。「家内安全」のお札をいただいてまだ時間があるので、いつも仰ぎ見るだけの双峰の雄岳、弾正の信貴山城址に立ってみることにした。
行程は八丁だという。ざっと800メートル強といったところか。意外にあるなと思いつつ行くと坂がだんだんきつくなる。あと四丁だという里標のあたりから、九十九折になっている階段が覆いかぶさるように前に立ちふさがる。この辺りから千本鳥居が続く。祈祷のお寺らしく鳥居は全国からの寄進だが、なかには懐かしい郷里の地名もあったりして気分も和む。
あと一丁だというあたりはもう稜線に出たのか風もよく吹き渡る。やがて頂上らしき雰囲気になると信貴山城址という大きな石碑。そこから生駒山方向に向けての尾根のあたりに中世の山城が展開されていたらしい。
さらに進んで頂上に空鉢護法堂がある。ここは「龍王の祠があり「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されて」(以上信貴山公式ホームページより)いて、お堂の南はちょっとした舞台になっていてそこからは二上山、葛城山、吉野、大和盆地南部が一望の素晴らしい眺めだ。

信貴山・空鉢護法堂より南を望む

「空鉢」というのは信貴山縁起に描かれている話で、長者の倉を托鉢の鉢に乗せてこの山頂に飛ばしたということにちなんでいるとか。

ところで季題の「大根焚」は京都鳴滝了徳寺の行事をさし「焚」の字をあてるのたいして、信貴山は「炊き」をあてている。興りは数十年前伊賀の篤農家から大根を寄贈されて以来だという。

偏向者めいて

制服に笑顔のぞかせ社会鍋
怯む子の背を押しもし社会鍋

歳末になると駅頭などで見かける光景。

制服、制帽に身を固めた厳つい一団が居並んでいると、今まではいかにも偏向的思想にかたまったグループのような印象がぬぐえず、鍋に近づくにも気後れしたり臆するようなところがあった。
ところが、兼題に「社会鍋」をいただいたので調べてみると、この人たちは国際的なキリスト教団体の方たちで、日本人最初の救世軍士官・山室軍平は同志社で新島八重の兄、山本覚馬らから影響を受けた人らしいということが分かった。そして全世界レベルで布教活動と奉仕活動を行っている団体のようだ。
そう分かってみると今までの罪滅ぼしの意味も含めて、今度見かけたときには臆せずに貧者の一灯を捧げてみようと思うようになったのである。知らないこと、誤解していることはいくらでも出てくるものだ。

句材探訪

尾根小屋の風に氷柱のあらぬ向き
尾根渡る風に馴れにし氷柱かな
尾根小屋を閉めて氷柱に見送らる

NHK/BSの「新日本風土記」はよくできた番組で録画をとっては時間のあるときに見ている。

だから、ときには二ヶ月も前の番組を見たりもするが、特別季節に連動しているわけではないので気にはならない。というのも、毎回長い時間をかけて制作した番組だからだとも言える。NHKならばこその製作姿勢であり、受信料を払う価値は十分にある。このような良心的な番組がほかにもいっぱいあるのがNHKの魅力で、今後もいい番組を送り続けてくれることを期待している。

掲句は南アルプス地方の厳しい暮らしを追った番組をみて詠んでみたものだが、農鳥小屋の主人がシーズンを終えて里に降りる日、小屋のつららが尾根に巻き上げる風によってあちこちあらぬ方向に向いているシーンが映し出されたときの様子だ。海岸の松が長年の強い海風によって一方に傾く「磯馴松(そなれまつ)」のようで、加えて吹き上げる風にめくりあげられているムーブメントも加わったアートと言っていい形とも言えた。

吟行に行かずとも句材はあらゆるところにある。