冬の連想

焼藷を分けて職場の三時かな
焼藷の差し入れありて茶を淹れる
紅さつま一本焼いて足る暮らし

郡部に住んでいるせいだろうか、石焼き釜の車をとんと見かけない。

小さな煙突から木を燃やして上がるあのかぐわしい煙りは、市街地内であればまだ健在なのだろうか。
こんなことを考えたのは、車を走らせていて落葉がうずたかく積んだ道を見たからである。落葉を見ると焚き火、焚き火は焼藷という連想がたちまち頭の中を駆け巡り、無性に食べたくなる。

自宅で塵はおろか庭の葉っぱすら燃やしてはいけなくなって久しい。子供たちが小さい頃は落ち葉を拾ってきては藷を放り込んだりする遊びもできたが、今となってみると落葉をみたら条件反射的に焚き火、焼藷を思い出す世代の最後なのかもしれない。

焼藷は屋台か店で買うしか手に入れる方法がない時代というのはさびしい。しかも、値段が高くなったものだ。

りんご吊り

雪吊が目印といふ館かな
雪吊の一筋縄のなせるわざ
雪吊に雪ふらせたき晴続き
東京の雪吊は雪ほしげとも
親方の到着待って雪吊す
雪吊の主柱吊輪のあをあをと
雪吊の吊輪の庭の形なりに
荒縄の玉をほどきて雪吊す
雪吊の縄玉ごろり用意して
雪吊の主柱かかぐる日和とも

紅葉のあとは庭園の雪吊風景。

今年は例年より早く雪便りが聞かれるので、兼六園などではそれを目的に訪れる人も多いのかもしれない。ただ、先日の雪で大きな木が倒されたところもあると聞く。水分が多く着雪しやすい雪質の場合は木だけでなく、家屋までもが押しつぶされそうになるので要注意だ。
雪は雪吊で風流に楽しんでいる分にはいいが、今回のように四国の孤立した山地に住む人にとっては命に関わる問題。限界集落といわれる地域がどんどんふえている現在、こうした災害時の連絡が行き届かないケースがますますふえそうだ。

ところで、兼六園で一番背の高い木の吊り方は「りんご吊り」というそうだ。りんごの実が重くなって枝が折れないように吊るのに似せた方法であるからだそうである。いずれにしても木の高さをしのぐ大きな支柱のてっぺんからきれいな三角錐になるように縄を何本も張っていく。芸術的ともいえる職人技である。

京都の夜

寄宿舎の夜食囲める綿子かな
懐かしのご当地ソング宿綿子

京都の夜は町家ステイ。

町家を改造した一棟貸し切りの宿である。朝食は決められたものが提供されるが、夜は仕出し出前もあれば外食もOKである。
元は町家なので部屋も十分あって、寝床を並べる部屋のほかに食事や懇談に使える部屋もある。さっさと風呂に入る者も入らぬ者も隅に積み上げてある綿入れにだけは全員が袖を通し、さながら修学旅行の夜を思い出させるような同窓会感覚で夜更けまで飲んだり、唄ったり。とくに歌はカラオケがなくても、メンバーには持ち歌一千を豪語する猛者もいたりするので、ご当地・京都にちなむ懐メロが次々に飛び出す。
とかくして、京都の第一夜はあっというまに更けるのであった。

掲句のうち寄宿舎の句は、季題「綿入れ」で思い出した昔のシーン。毎夜勉強室と言われる部屋に集まっては、ストーブの湯をかけた日清チキンラーメンをすすって夜遅くまで勉強もしないで話し込んでいたものだ。

南禅寺界隈別荘群

別荘の懐深し敷松葉

テレビで南禅寺界隈別荘群の庭特集を見た。

今回は秋と冬版だったが、たしか以前にも同じような別荘群紹介の番組があったのであのときは春と夏版だったのかもしれない。
井浦新という俳優がナビゲートする番組で、彼は昨年京都国立博物館の文化大使にも任命されるなど、ちょっとユニークな存在で他にも美術番組の司会やら「匠文化機構」という日本の伝統文化、芸術、芸能を支援する機構の代表理事とかも務めている。
俳優としては大河ドラマ「平清盛」の崇徳院役としても活躍、記憶に残る役者さんである。

その番組の中で松下幸之助の別荘であった「真々庵」にうっすら積もった雪の下の松落葉がというのがあった。苔などを霜などから守るためらしいが、この「敷落葉」を歳時記で調べるとはたして冬の季題で、炉開きのときに茶席の庭にも敷かれるものらしい。
大覚寺では松の落ち葉をせっせと掃いていたが、このようにどこからか集めてきて逆に敷き詰めるというのも面白い。

旧嵯峨御所大覚寺門跡

苔庭の落葉掃くより弾きたる
山茶花の散るを意匠に苔の庭
水鳥の広く遊べる庭湖かな
大池の北はよく溶け枯蓮
枯蓮を撮って白雲映りこむ
名勝の名のみとどめて滝涸るる

想像以上に立派なお寺に圧倒された。

さすが門跡寺院の代表とされるだけの気品があり、短時間に見て歩くにはもったいなさすぎる。また、大沢池の広さはどうだ。さまざまな冬鳥も到来して、留鳥ともどもあまたいるのに、ちっとも狭さを感じさせない。あと千羽くらい飛来したとしても特別多いようには感じないのではないだろうか。

そのうえ、名古曾滝跡脇にある歌碑を見てはたちどころに百人一首55番藤原公任の歌と教えてくれる友もいて、なんともゴージャスな旅だ。

廬山寺にて

廬山寺はむらさきならず冬桜
橘の色を葉陰に源氏庭
白壁にさゆるる影の紅葉かな

御所見学を終えて次は廬山寺だ。

近年ここが紫式部の邸宅跡であることが証明され、以来ファンの訪問がひきもきらない。
ここの白砂の庭は源氏庭として有名だが、残念ながら季節外れにて紫のゆかりの桔梗は見られなかった。その代わりと言ってはなんだが、橘の実がすっかり色づいているし、冬桜も迎えてくれた。

前庭では紅葉の影が白壁に揺れ、筆塚の明朝体の揮毫が大変珍しかった。

御所見学

楝の実あふぎ始まる御所ツアー
蔀戸をあげて御所貼てふ障子
水曲げて落葉ただよふ御庭かな
実南天ここが小御所の鬼門らし

源氏物語完読旅行2日目は京都御所から始まった。

職員の案内で約1時間の見学だが、印象としては御所暮らしというのは意外に質素なものだったようだ。天皇のお住まいだといって金ぴかに飾り立てるどころか、逆にかつてお住まいだった清涼殿などは調度も質素に地味に設えられ、冬を越すにはいかにも厳しそうだ。東京遷都まで実際に住まいとして使われた建物などは、外は寝殿造り風でも内部は書院造り風で畳も敷かれてはいるものの、民の上流階級並の家と変わらないほどだ。
象徴的なのは障子で「御所貼り」という独特の貼り方だ。これは大きな紙は貴重だったので、小さな障子紙を何枚も貼りつなげる方法でその継ぎ目模様が大変ゆかしく美しい。