墳丘点景

墳丘の色ただひとつ石蕗の花

石蕗の花は意外に背が高いのだなと思った。

ふだんよく見るのは庭にあるもので石の陰になっていたりすることが多く、株全体を見通すことはあまりないせいか、墳丘の裾に固まって咲いているのを発見したときは新鮮な驚きだった。
どれもしっかりした葉をつけていたが、大きな木の根元にあったせいか半日陰状態のため背伸びでもするように首を長く伸ばしているように見える。

墳丘を覆う芝生はすでに枯れて、色らしい色といえばこの石蕗の花の黄だけだった。

晩秋真っ盛り

冬薔薇香り保てるものさへも

通りがかりの薔薇園から強い香りがした。

冬とはいっても実体はまだ晩秋だからだろうか。真冬にはまだしばらくはあるこの時期、いろいろな種類の薔薇が咲いているなかには、強い香りを放つものがあるらしい。

平成の大横綱

投げ技に彼我の差ありて博多場所

白鳳32回優勝の大記録おめでとう。

昭和の大横綱・大鵬の記録を超えていくつまで伸ばしていくのかまだまだ楽しみな力士だ。
15日間を振り返ってみると、モンゴル人力士の投げ技の鋭さが目についた場所であったように思われる。
投げ技のすごさで言えば往年の若ノ花を思い出すが、今では技の鋭さも凄味というものはすべてモンゴル人力士の専売特許といった感が強い。

今のところ日本人力士はせいぜい大関がいいところで、それも勝ち越しがやっとという状態では横綱候補とはとても考えられないし、幕内力士全般をみても一気に番付を駆け上がってくる気配がない。
四つに組んでしっかり勝てる力や技、体格を備えた日本人力士が誕生しないものだろうか。

冬河原

冬川の近道にして沈下橋
橋脚のあられもなくて冬の川

大和川が大合流してよりしばらくは3キロくらい両岸を結ぶ橋がない。

代わりに一カ所沈下橋が架かっているのが珍しい。両岸は田畑以外に何もないので、これを渡るのは両岸の堤防を走る車やオートバイだけである。堤防を降りて低いところに渡してあり、盆地周辺に降った雨がすべて流れこんでくるわけだから、年に何回かは水面下に隠れてしまうにちがいない。

冬の間は橋脚もあらわになって水位が低いのがよく分かる。

冬支度の鳥たち

木守柿ついばむ鳥の種を問はず

今日も探鳥会の人たちが大勢いる。

墳丘の柿の木

墳丘にぽつんと一本、葉はほとんど落ちているが豆柿のような小さな実をいっぱいつけた柿の木がある。
見ると鵯が数羽来ていて熟れた実をしきりに啄んでいる。すぐにまたどこからか小さい鳥の群れがやってきて、彼らもちゃっちゃっと啄んではすぐに飛び去っていくのが慌ただしい。
これだけ鳥の種類も数も多いようでは、今はいっぱいある実もやがてつぎつぎになくなって、終いには木守柿とは言える状態などないままにただの冬木になってしまいそうだ。

探鳥会

探鳥会言葉少なに日短

穏やかな日和。             

こういう日は探鳥には最適だ。
ちょっとした鳥の声や音もキャッチしやすいのがいい。
最初はカラスかなと思ったが、近づいてみると明らかに啄木鳥のものと思われるドラミングだ。櫟の黄葉のまだ残っている枝を探すと四十雀やエナガの群れに混じってコゲラがいる。

双眼鏡や三脚など本格的な装備の探鳥会らしき人々も多く、みなさん必要最小限度の言葉や声量にとどめて観察に余念がない。やがて4時も過ぎるとバスの時間が気になるのか帰り支度が始まった。

容色

マドンナの歳月深し木の葉髪

かつてマドンナと言われていたその人を見て誰もが声を飲んだ。

皆が若くて、誰にも輝かしい未来が待っていた頃の、多くの男子の憧れの的だった彼女とは似ても似つかない、とても同一人物とは思えない変わり様に驚いたからだ。
たとえ絶世の美女であっても年齢とともに容色は衰えるのが世の習いとは言うものの、そのギャップが大きすぎる。歳月に加え、過ごしてこられた環境などにも厳しいものがあったのかもしれない。
来し方の話題はつとめて避け、当たり障りのない話題に終始したものの、かえって距離感が広がるものを感じてしまった。

兼題「木の葉髪」の習作である。