降臨の神話伝ふる山眠る
午後から葛城・御所方面を走った。
葛城・金剛山の麓は弥生時代から農耕集落が形成されていて、古代王朝の有力な豪族であった土地である。ただ、藤原家と天皇を頂点とする律令制度のもとで記紀が編纂される頃には勝者の論理で歴史が大きく書き換えられたせいだろうか、歴史の継続性という観点からはどうしても理解できない話が多い。
ただ、平野部には神武が国見をした国見山があるし、その辺り一帯が今も秋津洲と呼ばれていること、その秋津洲には景行天皇の息子・日本武尊の白鳥陵があること、御所の九品寺の近くには第二代綏靖天皇の宮址があるなど、初期王朝の拠点であることは間違いない。したがって葛城一族(鴨族)というのは初期王朝では重要な役割を負っていたと考えるのが自然で、4世紀から5世紀にかけて百済の歴史書にも顔を見せる葛城襲津彦や、その娘で仁徳后の磐之媛の存在などかなりの権勢をふるっていたのは間違いない。
さらに、葛城の一言主神は「宋書」や「梁書」に「倭の五王」中の倭王武であるとされる雄略と対等に勢力を張っていたとされるが、やがて一言主神が土佐に流されたという話が伝わるので、おそらく雄略のころあるいはそれ以降に大和王朝の拠点が初瀬地区に移ったものと考えていいと思われる。それ以降は王朝拠点が葛城に戻ってくることはない。
今日は鴨族の神が祀られた高鴨神社(高鴨社)、鴨都波神社(下鴨社)を訪ね、高鴨神社からは秋津洲の眺めを楽しみながら国見山、白鳥陵まで足を伸ばしてみた。暖かくなると格好のハイキングコースにもなる。