かすみ網

人間に遠くて近き寒鶫

今年は鶫(つぐみ)の姿を多く見かける。

もともと河原にはよくいるのだが大和川河川敷でも、散歩の行く手行く手に現れては人間が近づくとみえると10メートルくらいの距離を保ちながら間合いを図るようにしている。なぜだか「鬼ごっこ」しているようで、ぎりぎり近づくとさっと藪の中へ逃げ込むという具合である。
かつて霞網の最大の被害者で随分数を減らしたわけだが、今は食料にしようという人も少なくなってぎりぎり共存していけるわけだ。

追)鶫の句をさらにいくつか

彼我の距離測りをるよな鶫かな

横目して鶫は吾を警戒す

カニ喰いたい

駅中のポスター誘なふ冬味覚

「カニ三昧」とか「カニカニ」という文字が踊る観光ポスター。

松葉ガニ、越前ガニもいよいよ終盤。城之崎泊まりや大阪や神戸から手軽に日帰りできるプランもあり、なかなか魅力的だ。そのほかに広島ガキプランだの、新聞折り込みには近くの駅を出発点にした日帰りバスプランもあったりして、関西ならではの冬味覚旅が目移りするほどある。
今年は母の喪中ゆえ遠出を避けているが、来年には出かけたいものだ。

バラの手入れ

色褪せたままに咲きをり冬薔薇

ドライフラワーになったのではないかと見紛う、蕾も花も時間が止まったみたいなバラが路地に咲いている。

あまりの低温に葉も赤茶けてはいるが間違いなく生きているのが哀れだ。せめて冬になる前に剪定しておいてやれば、春にはしっかりした枝を伸ばして立派な花を咲かせるだろうに。そういえば月が改まればそろそろ寒肥の時分だ。

住人が高齢化して庭木の手入れさえ覚束なくなっているのかもしれないな、などと思いながらその場を去った。

エラ洗い

寒鯉のよく跳ねる日や風のなき

大きな水音がしたので思わず振り向いた。

鯉がジャンプしたのだ。目を向けたときには既に姿はなく、大きな波紋が広がっているだけだった。あの広い大和川にはけっこうな数の鯉が生息しており、橋の上からは一斉に上流に頭を向けて尾びれを振っている姿を見ることができる。あのジャンプというのが何のためかは極められてないらしいが、重そうな図体をよくもあれだけ持ち上げられるものだ。

釣り針にかけたスズキがジャンプして針を外すことを「エラ洗い」というが、鯉のジャンプも同じくらいダイナミックな感じがするな。

ファスナー半開

常よりは歩数伸びたり寒緩む

ファスナーと言っても社会の窓のことではない。

今日の午後から気温が上がってきて幾分寒さが緩み、上着のファスナーを半開きにしても寒くはなかったのだ。
自宅近くに「秋留八幡神社」というのがあって、これは氏神様を祀ったものとばかり思っていて今まで境内には入らなかったのだが、今日は暖かくていくらか遠くまで歩いてもいい気分だったので信貴山に向けて登る格好になるのだが寄り道してみた。
祭神はここでも誉田別命、つまり応神天皇らしい。この一体は龍田大社といい、どうやら崇神やら応神天皇ゆかりの神社が多く、大和王朝草創期から歴史の舞台となったことは間違いない。あるいは古くから難波との接点であったこととも関係しているのかもしれない。
飛鳥などもそうだが、今見ると何の変哲も無いような場所がかつては日本の政治や祭事の中心だったということがあったりして、歴史というのは本当に面白い。

だみ声

夫の声恋の褪せぬか鴨の恋

鴨の仲間は多いがどれも概して鳴き声は雅ではない。

というよりは、アヒルのそれに似てあの「ガアガア」というだみ声である。同じ鴨の仲間でも小ガモとなると別格で先生の笛のように聞こえるし、ヒドリガモも「ピィーヨ」あるいは「ヒィーヨ」と鳴くがこれらは例外だろう。
真鴨や、皇居お堀端お引っ越しで有名なカルガモなどは正真正銘、本来の鴨類の正当な声の持ち主なのだ。

今は一年で一番寒い頃だが、常に変わらず水面に顔を突っ込んでいるのを見ると「がんばれよ」と声をかけてしまう。

滋養に富む

寒卵は貴重なものと教へらる

七十二候では今月30日から2月3日を「鶏始乳」(にわとりとやにつく)といい、鶏が卵を産み始める頃だという。

朝そんな話を妻としていたら、昔飼ってた鶏の話になって、やはり鶏は冬は卵を産まないものだという。知らなかったので調べてみると、寒中に産んだ卵は滋養に富む、またその年はお金に困らないとか大変縁起がいいらしい。とくに大寒の日に産んだ卵は「大寒卵」と言われて珍重されるらしい。
そう言えば昨日のすき焼き用卵はなかなか卵黄がしっかりしていたような。