救い

ときならぬ寒波や水のあたたかき

一ヶ月も早く寒波第一波がやってきた。

わずか一月ほど前は30度を超えるような日があったとはとても思えない早さである。おまけに、台風の当たり年である今年は三十号の大台に達し、十一月に入ったというのに900hPaを下回るという驚異的な勢力に犯されたフィリピンの惨状を見よ。さらに地球はこの100年経験したことがないような気候変動の波に翻弄されるのだろうか。

そんな暗鬱とした気持ちにさせられた朝、庭の散水栓をひねったとき意外に水があたたかいのに少しは励まされたような気がした。

寒い雨

もの軋む十一月の雨なれば

予報通り寒い一日だった。

朝いっときだけ日が射したものの、そのあとは重い雲が覆い、おまけに時雨を超えるような激しい雨が降ったりする厳しい日である。

急に真冬のような天気になると重苦しい空気に包まれて、見るもの触れるものすべてが日常ではなくなるような錯覚に襲われる。

再挑戦

文集に昔の吾や返り花

昔仲間と書いた会報が散逸していたのを再び集約して再発行したものが届いた。

仲間とはある大先生を慕う会で、年に一回会うおりそれぞれ近況を寄せ合って会報としていたものだ。その後先生が亡くなられたあとは集まることも少なくなって会報も途絶えている。
読み返してみると、自分の年々の仕事内容やら考えていたことなどが書かれていて大変懐かしい。しかも、自分でいうのも変だが、今読み返してみても己が書いたものとは思えないようないい文章を書いていることに驚く。

引っ越しの際かなりのものは処分してきたが、先生の書かれた詩集はすべて手許にある。もう一度読み返してみたら、今ならもっと理解できるかも知れない。

毎年のクラス会

山茶花や恩師不在のクラス会

中学のクラス会に数年ぶりに出席した。

いつもなら十月に行われるのだが今年は山茶花の咲く頃となった。
恩師は御年九十四歳、健在ながらご主人の看護のため今年は欠席された。
先生は決して愚痴をこぼさぬ人だったが、担任のときにさんざん迷惑をおかけするクラスだったので、校長や教頭先生にいつも小言を言われていたんだろうなと言う話で盛り上がる。
すでに鬼籍に入ったもの二名に聞こえるように当時の思い出を語るもの、奥さんを数年前に亡くし本人も原因不明の病気で精密検査を受けるというもの、膝や腰が悪くて座椅子にすわるもの、大病からカムバックしたもの、普段は孫のお守りで忙しく参加できなかったもの、法事で欠席すると言うメッセージを送ってくれたもの、などいろいろな人生、暮らしぶりの披露。
毎年顔ぶれは同じようなメンバーだが、たまに珍しい人が参加してアクセントになったり。

冬の日は短く瞬く間に三時間がすぎて、来年を約しての散会となった。

緩い時間

よい席を猫と争ひ日向ぼこ

子猫三匹が家人に少しずつ馴れてきた。

あれこれ要求があるときは大きな声で鳴くようになったのが証拠である。一番はっきり分かるのは、朝食後のお休み処として畳の部屋を開けるように要求するときだ。
それも、今まで人見知りがいちばん強かった子が大きな声で鳴くのである。戸を開けてやると残りの子も含めて三匹が一斉に部屋になだれ込み、めいめいに日の当たる場所を占める。この和室をいままでだれにも邪魔されずに一日中時間を過ごしていた老猫ゴマちゃんにとってはすこぶる迷惑なはなしで、多勢に無勢のていで一番いい場所を明け渡したりしている。

ときに子猫を追っ払いながら自分も席取りに参加する時間の流れは緩い。

光のカーテン

日矢太き細きも降りつ冬立てり

暦通り寒い日だった。

ときおり弱い光が届くものの日射しの少ない日で、日当たりが恋しくなる空模様。
平群の谷を走らせていると、たまたま生駒のやまなみの裾に日矢がさすのが見えた。日矢のさしたところだけが明るく光って、紅葉がはじまったばかりの雑木林を照らす。

盆地のこれからは、足音をたてるように駆け足で冬がやってくるのだろう。

時を刻む

砂時計見据へ紅茶の春を待つ

いつものコーヒー店だが、紅茶も飲める。

ここの仕掛けは、狭いトレーに砂時計が付いてきて蒸らす時間を計るという寸法らしい。観察していると、およそ2分くらいあるのだろうか、なかには待ちきれずポットをグルグル回したりゆすったりして濃くしたものを注ぐ人がいる。流儀は各自まことに自由勝手でいいのだが、ペットボトルの茶を飲むのではないのだから、喉をうるおすだけではなくて茶を淹れる行為そのものも含めて味わえれば、もう春が近いこともしみじみ感じながら「時」を熟成できるように思えるのだが。