無縁の観念

ひと筋の水尾をしたがへ鳰孤高

天気はいいが風が冷たい溜池。

一羽の鳰が悠然と溜池をすべっているのが車窓からも見える。
人間界の大晦日なる時間という観念は一切無縁の命。その日そのときの命をかがやかせていきている。

この一年家族ふくめておかげさまで大過なく越せそうです。
ありがとうございました。
みなさまによいお年を。

信頼

大年やこよなく晴れし日をたまひ

年も押し詰まって穏やかな日をたまわった。

今日の朝までお節作りに勤しんで匂いやら音やらが部屋中に立ちこめていたが、それも帰省できない子に大晦日までには届けたいからである。
宅配にて時間指定できるので明日の午前中でも大丈夫だという。さすがにクロネコ便である。こんなときとてもじゃないが郵便局には頼めない。年末の渋滞中であろうと一旦引き受けてくれたものは確実に届くという信頼はゆるがないのである。
宅配便発送と入れ違いにもう一人の子が帰省してきた。
今日は佳い日である。

後ろめたさ

父巻くや吾が愛用せしマフラーを

突然50年以上前の思い出が甦った。

ある年の暮に帰省したら、少年時代に巻いていた手編みの毛糸を父が見つけて普段用に使っていたのだ。
実はこのマフラーには特別な思い入れがあるのである。
緑を基調とする糸で編まれていたが、あるところから色のトーンが変わっているのである。意匠上の理由ではなく、単に同色の糸が足りなかっただけなのだが、それを巻いて外に出るのは少年にしてみれば気恥ずかしくて長い間タンスに眠っていたのである。
すっかり記憶から遠ざかっていたものが突然目の前に現れると狼狽することがある。それはせっかく真心こめて編んでくれたものをないがしろにした後ろめたさから来ているのだろう。
そのマフラーを入院中にも巻いていた父はそのまま帰らぬ人となった。

体温まる

浮く豆をよけて始まる年用意

今日あたりからお節の準備が始まる。

まずは黒豆を選別して水に浸すことからスタートする。
自家製の豆だから不揃いは致し方ないと家人には言い聞かせる。
こちらはと言うと庭の木の剪定である。
時間切れで作業は明日に持ち越しとなったが、腰を上げる前には寒さに震えていても少し動くだけで苦にならなくなる。朝こそ放射冷却で一面霜が降りたが、日中は風もなく比較的穏やかだったのが助かる。
明日もまだ大丈夫ということだが、さて。

同世代

片頬に手添へ歯科医のポインセチア

今日は三ヶ月に一度の歯科医院。

定期的な検査の一環だが、それに加えて今日は舌圧を検査するという。小さな風船のようなものを咥えて、これを舌の力でつぶすように押しつけるのだ。結果、標準より下回っているらしいが、舌圧体操をすれば回復にいいらしい。
要するに歯が弱ってきて、この舌圧がさがればさらにものを噛む力が衰えるのだと。
あちこちガタが来ているのは自覚することは多いが、またさらに一つ増えてことになる。
歯を抜かれ入れ歯装着の予約のやりとりする同年代とおぼしき御仁もいて、お互い大変だなとひそかにエールを送る自分がいる。
クリスマスも終わってどこか気の抜けたような昼間のポインセチアが待合室にあった。

できあい

数へ日のちらし一面赤き文字

家人によるとようやく正月ものがスーパーに上がるようになったと。

そう言えば、チラシを見てもどこか隅に追いやられている。こんなことは昔なら考えられないが、客の多くがシニア世代の我がスーパーではいよいよおせちも作らなくなってき家庭が増えてきたと言うことか。今ではできあいのお節も簡単に手に入る時代でもあるし。あるいはコロナ禍でいつもなら帰省していた子息も足が遠のいているということもあるのかもしれない。
そんなことを家人と話ながら、折り込みのチラシをあらためてしみじみと眺めるのであった。

授かりもの

鰰の伯耆生まれで肌白で

秋田のものだとばかり思っていた。

米子のK君からのいただきものに他の魚に混じって「はたはた」が入っていた。
それも立派な大きさで肌につやがあり何より魚体が美しい。地元の海で獲れたと言うことである。
しょっつる鍋の具として知られているが、さてどうするか悩んだが試しに水炊きの具として鍋に放り込んでみた。
するとどうだ、一緒に入れた銀ダラに決してひけをとらない美味さ。おまけに染みだしたらしく出汁がきいて鍋自体が一段上の味わいとなった。
身がほぐれやすく、その気になれば骨だって食べられる。鍋以外には酢のものもいただいたことがあるが、こちらは意外にしっかりした歯ごたえだった。いろいろな食べ方や用途があるのも、さかな偏に神を当てる文字からも天からの授かりものということが分かる。
鰰はまた「鱩」とも書く。冬、雷になる頃に上がるからだという。北陸で言う雪起こしの雷である。ますます縁起のいい魚なのである。