似たものどうし

さまようて銀の道筋蛞蝓

ナメクジの季節となった。

庭のものをめくると出てくる出てくる。
だんご虫やらなめくじ。
シロアリでないのが幸いではあるが。
同じ仲間の蝸牛は木の幹を這ったり地上より高いところにいるが、ナメクジは大地にしっかりしがみついて這い回るのが性分である。ところかまわず這い回ったあとは、晴れた日など日に青く光っていさえもする。足跡をたどると狭いところをぐるぐる徘徊したり、その足跡にはおよそ目的というものを感じない。かれらの行動には何らかの意味があり行き当たりばったりというわけではないだろうが、ずいぶん遠回りな人生を歩んでいるではないか。
人もまた一直線に生きるというのはむずかしく、あっちへよろよろこっちへよろよろしているのであるから似たようなものでもあるか。

ぐりぐり

雨樋のつかへ卯の花腐しかな

壁面にひと筋の跡がある。

どうやら雨樋の継ぎ目から洩れているようである。
そこは二階バルコニーの雨水を引くところであり、排水口をのぞいてみたがとくに問題は見つからなかった。
間もなく梅雨がやってくる。すでにその前触れの長雨である。
その前に、下水の詰まりをワイヤでぐりぐり回すもの、名前は分からないがあれを雨樋にもさし込んでみる必要がありそうである。

ときの賜物

傘たたむ梅雨の走りの日の目かな

こういうのを走り梅雨というのだろうか。

降る降ると言われて予定を組んだが、結局寸の間ぱらついただけ。
昼過ぎには碧空さえものぞいて、おおいに当てが外れてしまった。
雨の少ない当地ではそういうことはよくあることで、浮いた時間はありがたく昼寝に使わせてもらった。

再開

遠足子迎ふる母の立ち話

学年別のバスがつぎつぎ停まる。

停まっては1丁目、2丁目の子をおろしてゆく。
一年生は信貴山の遠足。二年生、三年生も同じくバス遠足らしく奈良交通の貸し切りバスが児童をおろしてゆく。停車位置はあらかじめ決められていたのであろう。父兄がつぎつぎに迎えに出てくる。
コロナ禍以来中止となっていた修学旅行もそうだが、バス遠足も再開したようである。
子供たちにとっては待ちに待った日にちがいない。
父兄もまた久しぶりに顔を合わせた人たちもいるのであろう。会釈に終わらず親しげに話し込む場面もあった。

乱高下

やつがれの見えぬ不安は冷夏です

夏寒しとも言う。

走りの梅雨というのだろうか。今週はずっと傘マークがでて、おまけに初日の今日はえらく寒い。
お昼頃は15度いくかいかないかの温度で、雨の降り出した午後もほとんど上がらない。
真夏日があったかと思うと三月四月の寒さ。
為替や物価の乱高下も困ったことだが、気候気温の乱高下も食料生産に直結するだけに大きな問題になりそうで不安が募る。

待っている

上流へみなの口開け五月鯉

今日は北風だったようだ。

というのは、平群谷を南北に流れる竜田川(私は平群川だと言っている)の堤防沿いに毎年何旒もの鯉幟がひるがえるのであるが、それがみな見事に北の生駒方向、つまり上流に向いていたからだ。
それは、まるで上流から何かいいものが流れてくるのを待つ鯉の群みたいで滑稽さを誘ったのである。
毎年少しずつ本数を増やしているようで、平群谷に年々華やかさをもたらしているようだが、このように北へ向いているのを見るには珍しいことである。
空気もまた北の風だったせいか、気温は25度くらいまで上がったがどこかからっとしていた。

こわごわと

冷奴ごときに疼く臼歯かな

3ヶ月ごとの歯の検診。

3月に受けたころから冷たいものが沁みるようになった。
最近は噛むと痛いことも。
次回は6月。それまで待てるか。
この季節冷たい喉ごしはいいが、冷え切った麦茶もこわごわ飲んでいる。