農繁期

胡瓜棚ぴんと張るのも苗の世話

この二三日は農繁期。

今日は今日はで午前、午後とも外の作業でちと灼けたかもしれない。この時期の紫外線は曇だと油断しているとえらいことになる。帽子、それも麦わら帽子がいい。風がぬけて火照りも覚めようというものだ。
トマトに始まって南瓜ときたが今日は茄子、ピーマン、シシトウ。家に戻ってからは胡瓜用の支柱にネットを張る。何回か経験すると一番しっくりする仕立て方というものが分かるようになる。
これまでは合掌型に組んでネットを張っていたが、今年はより高くするため一面を垂直にたてネットを張る方法に変えた。胡瓜をしっかり植えたあと、余った畝やプランターにはこれまた余ったトマトの苗。トマトだけで15本!
保険をかけるにしても家庭菜園には多すぎると笑われそう。
失敗作のエンドウだが、数少ないものを収穫したら実がまるまると太って、しかも甘くてうまい。甘さもそうだがふっくらした噛み心地はまるでサツモイモのようである。久留米豊という品種だが、これは是非来年のために種をとっておこうと思うほどである。

立夏

樫若葉彼れに見ゆるが信貴参道

稜線がむっくりと膨らんでいる。

膨らんで見えるというほうが正しいか。
新緑でお山自体がふっくらしているのに、さらにそれを膨らましたような黄金色の樫若葉が点々と続いている。
平群方面から信貴山につづく稜線が遠見にも美しい。
今日は立夏。
いよいよお山に夏が来た。

筍ご飯

たかんなの客をモニター映しけり

今年は形がいい。

待ちかねた毎年の筍の到来。糠付きで。
15センチから20センチほどの粒ぞろいを、まずは出刃で頭を切り落とす。孟宗の子だから決して柔ではなく女手では大変だ。
私の仕事はそれで終わり。
さっそく夕飯に筍ご飯をいただいた。

観光シーズン

学らんにあふるる古刹葱坊主

ずんぐりとした葱坊主が花を咲かせている。

そんな季節だ。葱坊主は若い頃なら天麩羅にしてうまいが、花が開いては葉身も固くなってうまくなくなる。
九条ネギなどは株分けして植え替えれば再生して繰り返して使えるので重宝する。余ったものなどは野菜のコンパニオンプランツとして使えるので無駄にするところもない。一度種まきしたら永久に使い回しできる便利な野菜である。
観光シーズンとなって、県は観光客を呼び込むのに一所懸命税金を使っている。とくに修学旅行生の多い当地では修学旅行生にも一人2,000円の補助金を出すという大盤振る舞い。学ラン諸君が古刹を行儀よく巡る様子などはさながら葱坊主の列を思い起こさせる。

第二弾

警報鳴つて八十八夜の雨の夜

今日は八十八夜。

八十八夜の別れ霜というくらいだからこれを境に霜が降りなくなるという。
ところが、予報では明日の朝霜注意報が出ているようだ。この先一週間ほどを見ても朝の気温はなかなか上がらない見込み。ここ数年ゴールデンウィークともなると真夏日がつづいたので、またまた予想が裏切られているようだ。
茄子科野菜はトマトをのぞき寒さに弱い。茄子などは葉色が紫というよりは黒に近いものとなって、あきらかに低温障害の症状をみせている。こういうこともあろうかと第二弾の苗を用意しているので、その成長を待つことにした。今月下旬くらいに植えられればいいだろう。

野性化

茗荷竹一日おきに雨がきて

草の間に隠れるように角を出したのがあっという間に膝の高さまで伸びた。

陰湿な場所を好むという仲間には生姜があるが、植物学的には同じショウガ科である。道理で。
で、これだけ雨が多いと茗荷の伸びることおびただし。
庭におろしたのがいよいよ野性味を発揮しだして、今年はすこぶる獰猛に育っている。これ以上株が増えないよう対策をせねばならない。
それにしても今日の雨は寒い。五月の雨とは思えない冷たさは、今月の波瀾を予感させるものでなければいいが。

会話を楽しむ

げんげ野の見向きもされぬ下校道

田一枚見事な紫雲英である。

菜園への行き帰りに目を楽しませてくれる懐かしい風景だが、子供たちは立ち止まって見る風でもなく、今ではかれらの遊び友だちではないようである。引率付きの集団下校ということもあり分刻みで動くのに馴れたか、寄り道というものを知らないで育つと身近な生きものへの感心も失せてしまうにちがいない。
こちとらは、雨の間を縫って菜園の仕事に余念がないが、畑に置いたコンテナにいつもいる雨蛙君と会話を楽しんでいる。