駅前タリーズ

タリーズでカフェラテ飲るか初時雨

冷たい雨だ。

ウィンドブレーカーを着てでかけたのが幸いした。撥水効果もあるらしい。雨粒がつぎつぎと当たっては落ちる。
撥水効果のある帽子もあいまってたいして濡れることなく帰宅できた。
街なかならばこんなときスタバかタリーズを探して温かいカフェラテを楽しみたい。店としてはタリーズのしっとりした雰囲気の方が好きだ。スタバはいかにも通りすがりのひと向けの、だれもお喋りしない雰囲気があってゆっくりとコーヒーを飲む気になれない。
冷たい雨に当たったときは、タリーズのカフェラテは甘くてうまくてよく温まる。

縮れる

木の葉髪あれきり歳をとらぬ父
父の齢こえて相似の木の葉髪
木の葉髪櫛はね返すちからなく

櫛が通らぬようになった。

髪の数もさりながら、若い頃にくらべ極端に細くなった髪は縮れやすくて簡単には櫛を通してくれないのだ。もつれた部分をおそるおそるほぐし終わってようやく櫛もブラシも通る。
鏡をのぞけば父の齢をこえてしみじみ髪のボリュームの足らない部分も似てきたと思う。

畑の肥やし

人参のマティスの絵めく股根かな

耕しもしない畑。

雨後の柔らかい土でと、今日は7月末にまいた人参の初収穫である。
案の定二股のものがけっこうある。
肥料もやらないのにちゃんと育ってくれたようで、いかにも脹よかで柔らかそうである。それだけに二股の人参は下ぶくれの下半身を思わせる。
もちろん食べる分には全く問題ないので冷藏庫にしまっておく。
葉っぱも新鮮で食べられそうだが、間引き人参とちがうのでやや固そうである。冷蔵庫にはまだ在庫があるということなので、今回は畑の肥やしとなった。

じゅじゅ

椋鳥のひしめきあうて冬に入る

気がつくと椋鳥の集団が家の前の電線という電線に止まっている。

正しくは電線も電話線もいうことだが、100羽ではきかない数があの特徴のあるジュジュという鳴き声を発してはくっつくようにして犇めいている。30分ほどはいたろうか、そのうちの一画が飛びたったかと思うと信貴山の方へ向けて一斉に飛びたった。
椋鳥は晩秋などに一団となって街路樹や電線に止まることがあるが、あれはいったいどう言う意味があるのだろうか。

夫唱婦随

をみな指す柿へ伸びゆく高鋏

高齢化すすむ住宅街。

経過年数もかなりと思われる住宅に大きな柿の木が育っている。
ご高齢となってもう採られないのかなと毎日見ていたが、今日八十路に届くかというご夫婦が柿採りをされている。
ご主人が物置の上に乗り、奥さんの采配の枝の実を高鋏を使ってとってゆく。
数は多くないが一つ一つが立派な実でお二人で楽しむには十分なほどのようである。
ご夫婦揃って腰を伸ばしてはまた屈み、健康でおられる。すばらしき老いのありようを見せてもらって心ぬくもる一日である。

指が攣る

ジャムを煮る鍋ふつふつと冬に入る

立冬。

まだ金木犀の香りが残る冬である。かつての感覚からすれば季節は一か月ほどずれているのかもしれない。
庭の柚が色づいたので収穫したら4キロほどあった。さらに菜園オーナーから1キロほどをいただいたので、今日はジャムづくりである。家人が手を痛めているのでナイフを持つのは私。
5キロのうち4キロをジャムにするのだが、馴れないこともあって指が何度か攣りそうになる。おまけに終われば肩もえらく凝っていた。あとの処理は家人に任せ、この稿を書きながら台所の音を聞いている。

虎のご加護

城落ちて山永らふる秋思かな

一将功成りて万骨枯るというが、そのまた将もいつかは朽ちる。

聖徳太子に信ずべき貴い山と言わしめた信貴山は今も古刹として多くの信心を集めているが、歴史上のあるときは戦国武将の山城として難攻不落を誇っていた。時代の異端児も信長の攻勢にはたえられず爆死を遂げたという話が残っており、その名を惜しんで麓の山城址には立派な弾正の供養塚もある。地元の人に死後も愛された武将とも言えるが、人同様に城もまた虚しく、いまでは森に埋もれてしまって麓からあおぐ山頂にはその形跡すらうかがうことができない。
虎を守護神とする戦の山は今も1400年の法灯を灯しているが。
虎と言えば、CS第一線タイガースは負けたようだ。