帰宅ルートの楽しみ

空重くして信貴山の滴れる

外出から戻るときに眺める信貴の双嶺が好きだ。

たいして高くない山だが、太子が信仰の山として崇めたと聞けばその分、弾正の山城跡とみればその分、貴く見えてきてならない。
自宅はその麓にあり頂上あるいは全容を見ることはできないので、帰宅のルートは東からであれ、南風からであれ、否応なく目に入ってくるのだがなかなか悪くはない。
今日は午後から時折の雨で空は低く垂れ込めているが、雨に洗われた山容は緑をいよいよ濃くして瑞々しい。

作付計画

玉葱のひと竿渡すカーポート

だいたいどこも玉葱の収穫は終わったようだ。

今はその後に藷を植えたり、カボチャ、キュウリなど人さまざま。
家庭菜園のお宅だろうか、空いた駐車場を利用して玉葱が吊ってある。このあと上手に保管すれば一年近くもたせることができるそうである。
この秋にチャレンジしてみるか。

背に聞いて

雨蛙泣きて一山雲の急

急に鳴き交わしが始まった。

断続的な小糠雨に一日つづいたが、蛙のほうは喜んでいるのかそうでないのかよく知らないがときどき存在を知らせるように啼いている。
信貴山のなだらかな麓を細くて深く切れ込んだ流れが落ちてゆく。このところの雨で水量も多く水音も高くなっているが、蛙たちの声がそうした切れ込んだ谷間に響き合うように大きく聞こえるのである。
土に向かいながら、晴れれば鶯、雨もよいの日には蛙の声を背に土と向かいあう時間が豊かに流れてゆく。

着々

朝打ちし生コンたたく白雨かな

最近は骨材に砂利を入れてないみたいだ。

代わりに人工的なものを混ぜているのだろう。でなければ、高さ10メートルもあろうかというノズルに生コンを送り出すことは不可能だからである。
それに乾くのも早い。生コンの成分も昔に比べればずいぶん変わったのだろう。
隣地は着々と新築工事が進んでいる。
今日は久しぶりに夕立らしい夕立がきた。大きな雨音に浅い昼寝を破られた。夕立の後はすっと涼しくなったような気がする。

淡い期待

夏草に負けてならじと鎌を研ぐ

5月末から6月初旬のころが冬草、夏草の切り替わり時。

麦系の雑草が実をつけるような時分である。実をつけて枯れてゆこうとするのと行き違いに夏草が一斉に芽吹くのである。だから、この時期の小さな芽のうちに草を引いておけばあとの雑草整理は簡単になる。
今日の午前中は手遅れながらもちょっと煩くなってきた駐車場の草を整理した。
去年秋には草を全部抜いて新しい芝を張ったのだが、そのとき土の入れ替えをしなかったのがいけなかった。今まで見たことのない草や花までもが生えてきて、芝生などいったいどこへ行ったのかも分からないひどい。
あわれな芝草は元気な草たちを整理してみてわずか生き残っているのもあったが、総じて滅亡。
いままで雑草の種が飛んできた隣地がいよいよ住宅建築となったので、いくぶんかは救われるかも知れないと期待しているのだが。

賢くなる

晩生豆植ゑて菜園それらしく

晩生とくれば黒豆が代表的。

夏野菜をあらかた植え終えれば、あとに残されているのは黒豆の畝だけである。11月ごろに収穫となるので植え時は夏至が過ぎてからが相場である。
枝豆で鳥害にあったので、直播きには自信をなくしている。そこでポットで苗作りすることになるが、狭い庭ではこれもなかなか面倒な話である。とくに梅雨に入ってからというもの、豆にかぎらず苗という苗が芽を出したかと思うと何故か姿を消すので、土かそれとも日光?栽培のどこに問題にあるのか不審でならなかったのである。
今日その原因がようやくつかめた。ここでもなめくじである。前日に芽をだしたはずの新しいのがすっかり消えているのはこいつが食っていたようである。蛞蝓は夜行性で昼間は気づかないでいたが、雨模様の今日は昼間も顔をだしていたので犯人を特定することができた。
ハーブ系の苗には手をださないことも分かった。
菜園一年生としては失敗の連続だが、ひとつひとつ賢くなってゆくのだと思うことにしている。

今日は雨模様で野良仕事はひと休み。ためたものの片付けに追われた。

身にも心にも

罪悪感どこ吹く風の昼寝かな

ここ最近昼寝で眠り込むということがなくなった。

これまでは一度寝てしまうと二三時間は起きられなかったのが、せいぜい一時間、今日など10分ほどで目覚め、しかも寝覚め感すっきりと実に健康的。
ちょこちょこと庭仕事したり、夕方は決まって畑へ。畑仕事というのはもうこれでいいということはなく、あれこれと仕事が出てくるものだが、それもまだ暑さが本格化してないからであろうか。
ひと月遅れの夏野菜、苗が相当老化してしまったので活着できるかどうか大変心配だったが、いまのところ無事でいるようである。植えてから一週間ほど雨が来てないのでよく踏ん張っているものだ。
明日は朝から日中雨の予報。まさに慈雨。これほど雨が待たれることは少しも苦にならない。緑に親しむのは身にも心にも心地いい。