身を包む

春雨や傘を開く児手ぶらの子

気配を感じて窓の外を見た。

沓脱石が濡れている。雨だ。
いつの間に降っていたのか。音さえ聞こえない静かな雨だ。
外に出ればもう止んだあとで、生温い空気だけが漂っている。
いかにも春の雨らしく控え目で身を包むような心地に酔いそうな宵である。

ピークアウト

橋銘板に残る字の名苔の花
苔咲くや木橋の欄干朽ちやすく

「苔の花」は夏の季語である。

苔の花

苔は梅雨のころ湿ったところに盛んに茂るものだが、生殖器官が苔の間から伸びてきて花のように見えることからこれを「苔の花」と見立てたものである。
これを今頃見かけたということは、この時期に相当苔の繁茂条件が整っている状態とみてよく、もう季節がどんどん人間の暦感覚を追い越してゆくようなものである。
人混みを避けて、人の少ない所をねらって歩けば、視線もふだん目の届かないところに届く。
新コロナウィルスがピークアウトするまでしばらくは、このような一人吟行で季材をこつこつ拾い上げてゆくしかない。

桜ふくらむ

野遊の体型似たる親娘かな
野遊のシャトルに風のいたずらす

平日というのに駐車場がいっぱいである。

今朝は遅霜が降りて冷え込んだが、天気がいいこともあって日中はぽかぽかの陽気となったせいか、休校の子供たちを連れて母親や爺婆などお父さんをのぞいたファミリーがいつもの公園にどっと繰り出してきた。
芝生広場ではめいめいにボールやらシャトルやらフライイングディスクなどでくつろいだ光景がまぶしい。
園のあちこちには薄い紅が灯ってどうやら早い桜が咲き出したようだ。染井吉野はかなり芽がふくらんできて、明日から暖かさが戻るというからいつ開花してもおかしくない。
桜の名所は宴会禁止だそうだが、地方では気にせず花見できそうなところは至る所にある。それなりの花見をすればいいじゃないか。

豊かなものがたり

巳神のとぐろと見ゆる山笑ふ

ご神体の山は蛇がとぐろを巻いている形であるとも言われている。

三輪山には古事記に「大物主大神と活玉依姫(いくたまよりひめ)の恋物語」で、姫のところに夜な夜な訪ねてくる若者の衣に糸をつけて後をつけると三輪山の大物主大神だったとか、日本書紀に「大物主神の妻・迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)」が夜しか顔を見せない大物主神に顔を見たいと言うと、決して驚いてはいけないという条件で姫の櫛箱に入っていることを打ち明けるが姫をこれを開けて悲鳴を上げると大物主神は三輪山へ帰ってしまった。姫をこれを恥じて陰を箸でついて死んだ、など多くの逸話が伝わっている。
このあたりは、三輪山の神語りにあるので、ご覧になると他にも美酒つくり、杉玉など、古代の深層に連なる豊かな物語があることが分かる。

多様な生きもの

茎立の黄色鋤込むトラクター

春耕の季節。

山奥に美しい畑が現れる。
土地に特有の野性種が咲いて一面の花畑。これが種になる頃トラクターで鋤かれて肥料になり、次の作物が育つ。
花は虫を呼び、さまざまな生きものの糧となる豊かな自然。
そういうサイクルが繰り返されて、その土地の風土を形成してゆく。

朝食

一連の目刺値をはる名産地

目刺しも秋刀魚も鯖も出世したものだ。

乱獲がたたったのであろうか漁獲高も落ちて、市場へ行けば昔なら信じられないような値で売られている。しかもどことなく貧弱で立派なのが少ないのだ。
スーパーで売られている浅蜊も蜆も身が薄い。産地も遙か遠くなって地元産というものにはお目にかかれないし、複雑な流通の過程ですっかり痩せてしまっている。ぷっくらと太ったいいものはあるところにはあるのだろうが、当地のスーパーでは望むべくもない。
観光地などでは、へたな魚より値のはる目刺しなどあって、その昔大きな発泡スチロール入りのを山ほど買ってきて全部食べるのに往生したことに比べて隔世の感ありだ。藁を通しただけの素朴で一連の鰯など、ポリで包装されたものよりずっと高いなんてこともあって驚く。
朝食がパンとなって目刺しから遠ざかった食生活で、飲み屋でくらいしか食べる機会が限られてきたのがいいのかどうか。

肩すかし

お目当ての鳥待つ池に亀の鳴く

明日からまた寒さが戻ってくるというが、今日は馬鹿陽気だった。

カワセミが周遊するというので池の四阿で待っていたが、なかなかやってこず生欠伸ばかりが誘われる。
小一時間ばかりぼうっと過ごしたが結局肩すかしに終わった。
今日は地元出身徳勝龍が金星。先場所の神がかった勝ち方といい、初白星が金星とは、また何か「持っている」お相撲さんかもしれない。