剝落隠しようなく

バス降りて一ㇳ日の旅の鰯雲
瓶口に牧のミルクの爽やかや
変哲のなきコスモスの寺なりし
コスモスの花の名借りて露の寺

今日のまほろば吟行はコスモス寺の般若寺へ。

平城京の鬼門を守る寺で、例の重衡の南都焼き打ちにあったことでも知られ、鎌倉時代の再建を経て今日に至るが、さしもの古刹もいくばくかの剝落は隠しようがないようである。
それを補うべくと言うことであろうが、境内にコスモスを育てて参拝客を呼ぼうということだが、寺のあちこちのほころびに心なしかあはれを催す。
気分転換は寺の裏、というか寧楽坂の街中にある小さな牧場を見学して味の濃い牛乳をいただいたこと。

兵法者

蟷螂の雨に遁げ出す草の蔭
蟷螂の退くときは退く兵法者

どうやらかまきりは水が嫌いらしい。

散水の水が苦手のようだし、突然の雨にもファイティングポーズとるどころか、一目散に草蔭に逃げ込もうとする慌てぶりは滑稽ですらある。
けだし、三十六計逃げるにしかずを地でゆく兵法者であろう。

広大空間

枯色の背なにおんぶのばったかな

2センチにも満たないバッタがさらに小さいばったを負ったまま動かない。

バッタというとあのキチキチ言いながら飛ぶのをイメージするだろうが、わが庭にいるのはほとんどこのような小さなバッタである。あのサイズで交尾するくらいだから、もうこれ以上は大きくはならない種類なんだろう。
これらのバッタはなぜか水栓の周りにいることが多く、朝はいつもご対面。かといって、水が身にかかるのは嫌いらしく飛沫がかかるとさっと逃げてゆく。
人間にとっては一メートル四方、立方に過ぎない狭い空間だが、彼らにとってはきっと広大な空間としてどこでも好きなように生きていい空間にちがいない。

蓑虫庵

蓑虫の果樹の葉まとひ鳴きもせず

とうとうわが家も蓑虫庵と名づけるべきかと思う。

この春から一匹の蓑虫がときどき枝を替えてはブルーベリーに拠っていた。
夏の間に収穫もとっくに終えて、注意が足りなかったか、今日水をやろうとしたらおびただしい数に増えている。
むろん全員ブルーベリーの衣をまとっているわけだから、葉っぱがすっかり抜けかかっている。青いのを使ったのか、それとも水不足で枯れてしまったのをまとったのか、どちらとも分からないが、いずれにしてもファミリーとしか思えない集団である。
というのは、春から棲みついていたのは大きな衣だったのに、今日目撃した連中はひとまわり小さい。今年生まれたばかりではないかと思うのである。今後かれらが棲みつくのか、四散するのか、しばらくは観察の目が離せない。

また、こうなるとこの秋はまずご本家蓑虫庵に行かずばなるまい。俳句がちっとも上達しないのは、伊賀はほんに近いというに、いまだ俳聖とよばれる翁の足跡をたどったことがないのが祟っているからなのである。

高嶺の花

目黒きて奈良には遠き秋刀魚かな

まだ店頭に並ばぬらしい。

ニュースでは五千匹も目黒に届いたということだが、それも何と冷凍モノとは初めてらしい。
それだけ今年も秋刀魚は不漁だということらしい。
年々小さくなるばかりだが、いよいよ秋刀魚も我ら庶民には高嶺の花となったものだ。
食欲の秋というがその代表の代表であるだけに何とも侘しい限りである。

爽涼の花

山畑のうねりうねりつ蕎麦の花

もうとっくに咲いているところが多いだろう。

夏に蒔けば今月のいまごろ花の季節である。
うねった山畑がどこまでも続く。それがみんな蕎麦の花である。
蜂を中心とした虫がいっぱい飛び交って、秋や冬に備えてみな忙しい。
新蕎麦まであとひと月くらいか。

敵討ち

歯磨きの空いた手で打つ秋蚊かな

洗面所の網戸に蚊がしがみついている。

いつのまにか、人の後について入ってきた蚊だろう。
入ってきたはいいが脱出できなくて、夜を明かしてから明るい窓にへばりついていたのだ。
一晩以上いたと見えてだいぶ疲れているようで、利き手でない左で簡単に潰されてしまった。

しかし、庭にいるやつはしぶとくて、夕方にはちょっとの隙に何ヶ所も仇を討たれてしまった。
猛暑がいまだ居座るようじゃ、秋蚊とてまだまだ元気がいいようである。