特権

脈絡なき夢に覚めては春の闇

最近見る夢はほとんど脈絡なく、しかもふだん思いもしない人やことが現れたりする。

浅い眠りということだろうが、やはり昼間の活動量が少なすぎるのか。
今後老いて体がさらに言うことをきかなくなると、こんなことが毎日起こるのであろうか。
さいわいなことは、夜中に夢を見たとしてもまたすぐに眠りに落ちて、朝目が覚めたらまったく覚えてないことである。
聞くところによると、夜中に一度でも尿意に目が覚めたらそれは頻尿と言うことらしい。
まるまる八時間目が覚めないで寝続けることなど若者の特権でもはや望めないことだろうか。

自力

夕東風や家路たちこぐ子供たち

風に梅の香りがのってくる。

梅といえば東風。この季節の東から吹く冷たい風である。
ただ、冬と違うのはもう底を脱したという安心のうえに吹く風であるからどこか憎めないでいられる。
明日から三連休であるし、気温もかなり高いことが予想されるのでどこか浮き立つところがあるのだが、逆にこの時期悩ましいのは花粉、杉花粉の到来である。
げんに今日などはどこか鼻がむずむずするところがあって、ティッシュペーパーの減りがやや多いようである。
追い風に乗って元気な子供たちが坂道をがんばって漕いでいる。子供たちのはむろん電池など積んでないので自力である。

ぼやく

梅固し黒雲厚く低ければ

家人と話しをするのだが、当地はからっと晴れる冬が少ない。

長く関東にいたので冬と言えばからっと晴れ渡った日が多かったので、最初の冬に感じたことである。
しかも、ただ雲が多いと言うだけではなく、雲自体が暗く、黒くてそれが頭上を覆うのである。気分的にはたいへん抑圧されたようなものである。
考えてみれば、関東は日本海側から吹き付ける湿った風が幾層もの高い山々を超えてくるうちすっかり湿気をなくした状態になるのに対し、当地のは日本海からの重たい空気がやすやすと飛んでくるので雲が暗く、しかも低い。
朝から夕方まで晴れっぱなしという冬の日は数えるほどしかないのである。
洗濯物を取り込むたびに家人のぼやきが聞こえてくる。

神々しく

早春や近畿の屋根のかぶりもの

これは某句会で選外だった句。

近畿の屋根とはもちろん大峯の八経ヶ岳のことであるが、遠目でも分かるくらい白く見えるのは実は二月に入ってからである。
冬季はさほど目立った雪が見えないのは、いわゆる南岸低気圧が半島南を通過したときの春の雪の積雪でようやくしっかり降るということだろうか。
したがって、南を見るときに最も楽しみにしている季節というのが春未だに浅い二月なのである。これが三重県境の高見山にも言えて、三千メートル級とはいかないまでもそれぞれ神々しさを増すのである。

膨張

しろ梅の窓にめざめる旦かな

紅の枝垂れのつぼみがようやく動き始めた。

いっぽうの白梅は早すぎるのか、もう満開状態である。
梅というのはなかなか散るものではないが、開いたきりの花が増えると木全体がまるで熱を帯びたように膨張するように見える。
そういう意味では満開というのはちょっと食傷気味になるのだが、やがて紅枝垂れにリレーされるので今度はそちらに視線が移るので櫻などに比べればはるかに長く楽しめるのは花の少ない時期にはありがたい。

首都圏の雪

明日履いてゆく靴のなし春の雪

東京の方では明日の交通が心配されている。

午後には当県の雨も去ったが、今も静岡から東が雪で明日の通勤時間帯の交通混乱が容易に想像される。
東京西部に住んでいた時は、年に一度は春の雪があって、そのうち何年かに一度は家の前を雪掻きしなければならなかった。
そんなことを思い出させる今回のニュース画像である。
積雪具合いを写メで送って寄こした娘は明日の靴がないことを嘆いていた。
その前に、電車が動くかどうかのほうを心配した方がよさそうだが。

いざや

寒明けてやらねばならぬいくつかな

待望の立春、寒明である。

今まで寒いのを理由に先延ばしにしていたことがいくつもあって、そろそろ腰をあげねばなと思うのである。
まず一番は芽や根が動き出す前の移植、剪定・枝更新、寒肥があげられる。
ほかにもいろいろあるが、天気とも相談しながら、ともかく炬燵から出でていざやというわけである。