終焉の肚はくくれず韮の花
万葉のエディブルフラワー韮の花
歳時記に和へてうましと韮の花
夏とする歳時記もあるが、ホトトギス新歳時記では秋である。
たしかに、盆を過ぎる頃から蕾がぽつぽつと出始めて、今は一茎が満開である。こうなると葉はもう固くなってしまって食用に適さないが、蕾を摘んでこれを和えるとうまいという。もう少し様子をみて、蕾がさかんに出るようだったら摘んでみるのもいいかと毎日水をやっているのであるが。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
終焉の肚はくくれず韮の花
万葉のエディブルフラワー韮の花
歳時記に和へてうましと韮の花
夏とする歳時記もあるが、ホトトギス新歳時記では秋である。
たしかに、盆を過ぎる頃から蕾がぽつぽつと出始めて、今は一茎が満開である。こうなると葉はもう固くなってしまって食用に適さないが、蕾を摘んでこれを和えるとうまいという。もう少し様子をみて、蕾がさかんに出るようだったら摘んでみるのもいいかと毎日水をやっているのであるが。
献血車より痩躯出でくる厄日かな
二百十日。
折しも、まさに、超特大の台風が迫っている。
火曜、水曜にかけて上陸しそうだというので、恒例のまほろば吟行が気にかかる。
動向を見て月曜日の昼までには決行か中止かを決めなければならない。
会員のほとんどはパソコンを使えないので、こういうときの連絡手段が電話しかないというのはいかにも面倒だ。
せめてショートメールがこなせればいいのだが。
会員がどんどん高齢化するばかりの俳句会というのも、ある意味危機的ではある。
大根をしのぐ秋刀魚の甘味かな
今年は久しぶりに秋刀魚が安いらしい。
暑かった昨日、これまた久しぶりにスーパーにつき合った。
鮮魚コーナーではどちらが言うことなく、即座に秋刀魚を選んだ。
それほど新鮮に見える秋刀魚だったからだ。
刺身にしても食えそうなくらいだが、さすが山国ではそんなフレッシュなものは手に入ることはない。
焼いて食ったが、これまた久しぶりの秋刀魚の腸の甘味。大根おろしの辛味など到底太刀打ちできない、絶妙な甘苦なのである。
今年の秋刀魚は豊漁で安いのはもちろん、ずっと旨い秋刀魚が食えるといいな。
ダンプカー積み荷にのぞくゑのころ草
ゑのころの尾をこぼしゆくダンプカー
近所の田んぼをつぶして道路を造るそうな。
何でも、昔からある在の道路が狭くてまさかのときに救急車や消防車が通れないから、新しくアプローチする道路だそうだ。
開発の場所は団地に接したエリアになるので、ここんところダンプがひっきりなしに土砂をどこかへ運んでは戻ってくる。
元田んぼと言っても、ここ数年は貸し農地となっていたところも多く、去年から貸し農地も休業となっていたので、今では雑草まみれの原っぱである。
信貴山のほうへ向かってゆくから、大阪との県境の山中にでも廃棄するのだろうと思われるが、土砂を目一杯摘んだダンプカーがうんうん言いながら坂を登ってゆく。荷台の乾いた土には、草の根っこなどものぞいていて、カーブで発進するときなどに土とともに一緒にパラパラこぼしもしたりして。
最近は、登校も下校も集団だから、道端の猫じゃらしもなかなか遊んでもらえる機会が少ない。
まして、今年の旱天で成長もよくなくて、なかなか見事な尻尾にまでは育たないようで、ちょっと可哀想でもある。
特売の土鍋買ひ出す残暑かな
チラシをチェックしては、猛暑の中を出かけてゆく。
年金生活者のつましい毎日だ。
今まで日常の買い物などと無縁な男には、そこまでしなくてはいいと思うのだが、それを口にすると主婦のやりくりを分かってないと叱られそうでとても言い出せない。
せめて不要不急の品くらいは、慌てて買いだめすることはないのではないか。少なくとも鍋用製品を買うにはまだまだ早すぎるようではある。それとも季節先取りなのか?
それにしても、残暑とはいえ炎暑並みの毎日、何とかならないものか。
秋すだれ産後養ひをられける
台風がきたとき一旦外した簾を再び掛け直した。
秋簾は、秋になってもまだかけられている簾をいう季語だが、実感としては、だんだんと日が傾いてきて部屋の中まで日射しが及ぶようになってくると、それだけで室温が上がってしまうので参ってしまった。実際には、これからこそが簾の活躍時期であることを再発見した。
簾がはたしてどれだけ日射しをカットしているのかは知らないが、掛けてみると明らかに室内の気温上昇具合が違うことが分かる。
まだまだ簾には頑張ってもらわなければならない。
餡パンの袋かけしを秋暑し
コンビニの握り飯もそうだが、なんで最近はあんパンやジャムパンまで一個ずつ包装しているのだろう。
もちろん、流通上,衛生上の配慮には違いないが、たかが餡パン、ジャムパンである。最近では主食にするというより、小腹がすいての一時凌ぎ、おやつ代わりに食うものだ。
そんな気軽な食い物を口に放り込みまでに、包みを開けるという儀式が煩わしいったらない。しかも、食い終わって片手には包みの端くれがぶら下がっておるわけで、傍から見てもさぞ不格好にちがいない。
ただでさえ暑い日がきりなく続くのに、ますます苛立ってくるのである。