へっぴり腰

脚立にも届かぬ柿の天にあり

毎年生るにまかせる木がある。

いつもなら柿花火を呈してそのまま鳥の餌になるのだが、今年はめずらしく地元の仲間だろうか何人かで柿を落としていた。
斜面にたかくそびえる木に、植木職人などが使う立派な三本脚の脚立にのぼるのだが、馴れてないせいかすこぶる腰つきが危なかしいへっぴり腰である。斜面に手を入れてない柿はすこぶる高木に育っているので、上段に上がっても高鋏でも簡単には届かず難儀しているようである。
それでも帰途通ってみると見事に下半分の実がすっかりなくなっている。相当の量を持ち帰った思われるが、あれは甘柿なのか渋柿なのか。後者だとするとそのあとどうするのか、いささか気になるところである。

掃除番

白砂に配置の妙や散紅葉

ことしほど庭のいろは紅葉が見事だった年はない。

毎朝庭に出るたび心奪われていたが、どうやら散りの時期を迎えたようだ。
白砂と書けば枯山水を思わせるが、何のことはない。天気がよければ毎日欠かさない猫砂の日干しである。これを取り込もうとしたら、いい具合に紅葉が散っている。
そうなると、トイレの砂と言えどどこぞのお寺の枯山水の庭然としておると言えばオーバーだろうか。悪くはない。
猫どもは知ってか知らずか、今日も気持ちよく砂を掻いている。当主はひたすら掃除番をおおせつかっておる。

その名不詳

電線の禽に名を問ふ冬の空

空が騒がしい。

見れば家の前と向かいの電線に100羽以上の見慣れない鳥が群れている。
鶫に似ているがそれよりは小さく、椋鳥のようでいて脚や嘴が黄色くない。いったい何だろうか。
家に戻って双眼鏡を持ち出したがよく分からない。似た鳥を検索してみるがどうもうまくヒットしない。
判然としないまましばらく眺めていたが、やがて一二羽が飛びたつと群がいっせいにどこかへ去ってしまった。

遭遇

学童の去にし校庭鶫来る

近づけば視線を背後に置く。

鶫の特性だ。
人間とは一定の距離を保つかのように、近づけばその分遠ざかる。
人が近づけば背中を見せながら、視線だけはこちらに注いでいるようである。
言ってみれば、鶫と人とが「だるまさん転んだ」をしている図である。違うのは追っかけられる方が後方をにらんでいて、追いかける側が近づけばその距離の分だけ逃げるという具合である。
どこかで出遭ったら一度お試しあれ。
秋の季語とは言え、この辺りではいつもなら年があらたまってから、場合によっては冬から春になろうかという頃にみかけることが多いのだが、今年はこんな早くに遭遇するとは思わなかった。北の方で異常がおきているのかな。

覚醒

隠れ里しのばせ雑木紅葉山

この二、三日背後の山が見事な変貌ぶりである。

信貴の山からなだらかに尾根が里につづくが、普段は何の変哲もない雑木の尾根である。これが秋が深まり冬に入る頃には全山がみごとに黄葉し、さまざまな種類の木がそれぞれの色を競うように全体を染め上げあたかも全山が覚醒したかの様となる。
家を出て少し行くと全体が見渡せるコーナーに出るとそれが眼前にばあーっと広がるのである。信貴の天辺から尾根の末端は小学校まで、180度のパノラマである。
尾根の途中には木立に囲まれて麓からは見えないが古くから信貴畑という集落があり、ここは土地の地蔵講の人たちによって毎年勧請縄が掛け替えられてハイキングコースの目玉地でもある。
尾根の中腹にはこれも裾からはうかがい知れない大きな溜池があって古くから平群の田をうるおしている。
見かけは何の特徴もない尾根であるが、隠れ里的な集落を護る尾根でもある。

ドロップハンドル

初霜の消えて甘藍光りけり

目が覚めると霜だという。

寝室から向かいの駐車場をみると、車のボンネットやルーフにうっすら白いものが降りているのが見えた。
今年の初霜である。
あれだけ暑い秋の日々が続いたのに、ときが至れば来るものは来る。あえぎあえぎ呼吸しているが地球はまだリズムを失っていないのに救われる。
霜が降りるくらいだから高気圧は真上にあり、天気はいい。散歩には十分な陽気につられて午前中も歩いたが、午後も出かけたくなった。ただ、この二十年ほど脊柱管狭窄症による間欠性跛行に悩まされている私は、わずか五分の歩行でも両足が先まで痺れるような痛みがあり、休み休みでないと長くは歩けない。そこで午後の散歩はあきらめ久しぶりに自転車で出かけることにした。ドロップハンドルのバリバリのロードバイクだ。
当地に越して道路事情など思わしくないことなどを言い訳にすっかり遠ざかっている。身長も縮んでいるようだし、サドルを1センチほど下げるがそれでも恐いほどの前傾姿勢である。しかも家の前は坂道である。
思い切って漕ぎ出すと最初はふらふらするが、次第に視線を遠くにやれるようになっていくらか安定してきた。こうして腰への負担は緩和されたが、使う筋肉はどうやら違うようで太股の裏やふくらはぎが張るようだ。
健康のための運動がかえって害にならないよう、安定した走りになるまでしばらく続けないといけないようである。

飽きない

泥皮の一枚下の葱美人
泥付の葱やうやうとひつさげて

今日から寒くなると聞いてはいたが、昼間は意外に穏やかに過ごしやすかった。

散歩ついでに畑に寄ったがそうなると何かしたくなるもので、家にもまだ在庫があるはずの葱を抜いてみた。いま穫れるものと言えば葉物、それに大根か葱くらいのもの。ふたりきりの暮らしだからたいした量もはけないので余るばかり。ともすると同じメニューばかりの日が続くが、これが意外に苦にならないのは味に癖がないうえに家人の工夫のなせる業かもしれない。
今日も抜きたての葱をぶら下げながら帰途についた。