バックミラー

燃料の目盛減るなる小六月

暖かいのは今日までと言う。

風は強くてバイクは要注意だが、寒くはなくてどこまでも走れるような気がする。燃料計の針を見るとそろそろ補給すべきレベルまで来ているが、もうしばらくこのままで行こうと思った。
荷台に積んだ蕪とネギの束がぱたぱた揺れるのをバックミラーが映している。

BGM

長電話飽きたるころの笹子かな

冬に入って初めて笹鳴きを聞いた。

実は今年は同じ場所で秋の九月にも聞いているのだ。
老鶯がまだまだ元気なじぶんに笹鳴きとは、それまで聞いたことがないので驚くばかりだった。
さすがに11月も後半に入ると鶯の歌は聞こえないが、入れ替わりに笹鳴の季節となる。この極端な鳴き方の変化は驚くしかないが、彼らにはそれなりの何か意味があるにちがいない。
冬日を受けた野などに笹鳴きを聞けば冬だなあという気分がいやが応にも高まってくる。これが天気がよくて陽だまりにいようものならもう春は近いとさえ思うものだが、さすがにこの季節は小六月の気分を楽しむに十分なBGMと言えるかもしれない。

追熟

焼藷の蜜のからみ来親指に

今日は紅あづまの焼藷を堪能。

最近人気の紅はるかの甘さには劣るがホクホク感はやっぱり紅あづまの勝ちかと思われる。そのバランスがいいのだ。今年は二系統の藷を育ててみたが、それぞれの良さがあって来年も二種とも植えることになろう。
例によって指が火傷しそうなくらい熱いのをもてあそぶだけで指が蜜でべたつく。それだけ糖分が増してきたと言うことだろう。やはり収穫後一か月ほどおいて追熟させた方がはるかに甘くなることを実感した一日であった。

堪能

昼飯をはさんで野良に冬ぬくし

見事なくらい風もなく穏やかで暖かい一日。

軽装で外を歩くには最高の日である。それでも十数分歩けばほんのり汗ばんでさえきた。
菜園ではまるでピクニックに来たかのように、数人の女性連が一カ所に座り込んでおやつなどを囲み談笑している。通りすがりの私も蜜柑ひとつをご馳走になり、乾いた喉をうるおす。
小学校からは休憩時かと見えて子供たちの元気な声も届いてくる。
ここしばらく周期的に雨がきて寒い日もあるが、おおむね過ごしやすい日がつづいている。
午前も午後も小六月を堪能した一日となった。

矜持

捨案山子誰が見んとて見得を切る

とっくに稲刈り、稲架掛けも終わった田に立っている。

妙にリアルっぽい案山子三体がある。
最初のうちこそ色鮮やかな衣装を着ていたが、それも近ごろは色あせが目立ってきてますます貧弱に見えてくる。
田主にしてみれば、目の前にある学校の児童たちに見せたいのであろうが、集団下校で隊列を組んで帰る子供たちには視線さえもらえないでいるのがいよいよ哀れである。
役割を終えたものたちに、引き際という矜持をもたせてやりたいものだ。

白い明かり

十年の庭に山茶花馴染みきし

半日陰がいいという。

それで、隣家との目隠しも兼ねて北東側に植えたのだが、以来かれこれ十年がたとうとしている。
人の丈ほどに伸びて当初の目論見どおり、外からの視線を遮るには十分な高さである。色は白を基調に淡い朱が混じり、足もとに散った花片ともども鬼門の辺りを少しく明るくしている。
これまで剪定を行わずにきたが、それなりに姿形は乱れていないし、しばらくはこのままでいいと思われる。

周波数

篠突ける雨を切り裂け虎落笛

すさまじい風雨である。

たまに冬の雷も混じって大荒れの一日となった。おまけに気温も十度に満たず真冬の心地である。
とうぜん暖房は朝から一日中入り、猫どもはときに雷に怯えながら暖を求めて集まってくる。
断熱、防音の効いた窓だが、すこし窓を開けただけで風が切り裂く音がひゅーひゅーと聞こえてくる。それは長く尾を曳くような、まるで電車が走り去るとでも言おうか、ふぁーんふぁーんとも聞こえてくるようだ。
五百メートル先に近鉄が走っているので聞き違いではないかと耳を傾けるが、ずうっと鳴っているのでそれは風の音に違いない。
その源はどこにあるのかよく分からないが、北風が強い日にはよく同じ音が聞こえてくる。窓を叩く雨の振る音とは周波数が違うようで、はっきりと聞き分けることができるのだった。